ディケンズ・フェロウシップ会報 第二十号(1997年)

The Bulletin Japan Branch of Dickens Fellowship No. XX

発行:ディケンズ・フェロウシップ日本支 部

ディケンズ・フェロウシッ日本支部
1996年度総会

日時:1996年10月12日(土)午後2時より
会場:東京女子大学文理学部1号館 312教室

1.総会 (2:00−2:30)
2.研究発表 (2:40−5:30)
1.「見えてくるアメリカ--ブリタニア号のディケンズ」
  成躁大学 川澄英男
2.「BLEAK HOUSE における『読むこと』時間・テクスト・主体」
  神戸市立外語大学 新野緑
3.「なぜディケンズはピデオ化されるのか?一小説と映像」
  金城学院大学 楚輪松人

1991年春季大会

日時:1997年6月7日(土)午後1時半より
会場:神戸大学瀧川記念会館 大会議室

1.開会の挨拶(1時30分一)
ディケンズ・フェロウシップ日本支部長 小池滋
2.研究発表(1時45分一3時)
司会:青木健(成城大学)
発表者:廣野由美子(山口大学)
「ディケンズの『子どもの視点』−Great Expectations について一」
永岡規伊子(大阪学院短期大学)
「Little Dorrit における影一家族神話の崩壊と再生一」
3.シンポジウム(3時10分一5時)
テーマ:「ディケンズと監獄」
司会・講師 松村昌家(大手前女子大学)
   講師 久田晴則(愛知教育大学)
   講師西條隆雄(甲南大学)

ワーズワスの贈り物
A Gift from Wordsworth

伊藤廣里

 旧蝋の一日、早朝から小雨が降っていた。しかし、私が登校するころには雨
は止んだ。だが、学校に着いたころ、また降りだすのであった。それが昼近く
なると豪雨に変わり、私の研究室の窓に烈しく当たり始めた。温度は二十度ほ
どに上昇して、生暖くなってくる。
 十二時五十分、ゼミの講義のため私は教室へ行く。卒業論文の作成に当たっ
て、いまだに遅れている学生がいるため、その講義に取りかかる前に、若干時
問を割いて、私は次のような話をした……。
 「皆さんは、卒論を書く時には、先ず感動したことを、研究テーマにとり挙
げることが大切です。次に批評がくるのです。本人が感動しないことなど書い
ても、他人は感動してくれる筈はありません。
 ディケンズも敬愛しているウィリアム・ワーズワスに、『虹』という美しい
詩がありますね。文学を志す者は、すべからく、虹を仰いだとき、心が踊らな
くてはいけませんョ……」
 突然、教室内がざわついてくる。先生、虹が空に出ていますョと学生たちは
言って爆笑する。私は話を打ち切り、彼女たちと共に窓外の虹を仰いだ。七色
の豪華な虹が、日野寮後方の大空に、大きな弧を描いているのである。私は思
わず合掌してしまった。学生たちは笑う。
 −−この偶然の一致は、単なる自然現象のひとつの現われ、と考えることが
正しいのかも知れない。
 『ハムレット』第一幕、第五場において、ハムレットがホレーシオに、「こ
の天と地との間にはな、おまえの哲学では、夢想も出来ない沢山のものがある
んだよ」という有名なセリフがある。
 やがてゼミの学生たちは、卒論を提出して春には学窓を巣立ってゆくのであ
る。私もまた、三十二年間勤めた大学を、定年退職で去るのである。
 −−ワーズワスは、ゼミの学生たちと私に、卒業のはなむけとして、虹とい
う素晴らしい贈り物をくれたのであった。

合掌



間二郎氏訳
『我らが共適の友』について
On Jiro Hazama's Translation of OMF
原英一

 大学院にいた頃、英国人の先生が、小説を勉強していた院生たちに、テュー
トリアルをしてあげよう、と自ら言い出してくれたことがあった。二週間で一
冊の小説を読み終えた上で、英語で口頭発表とディスカッションをするという
内容で、かなり厳しい勉強をしいられるものだった。ヴィクトリア朝の小説を
中心に、いろいろと読んだが、バトラーやメレディスなど、比較的読まれない
小説が多かったように記憶している。先生が推薦する小説を読んでいったので
あるが、特に印象に残っているのは、ギャスケルの『クランフォード』を読む
ことになったときのことである。先生はこう仰ったのであった。
 「もし私が無人島に島流しとなって、一冊だけ本を持っていくことを許され
るとすれば、間違いなくこの本を持っていくだろう」
 文学史の浅薄な知識しかなく、もちろんまだこの小説を読んでいなかった私
は訝った。こんなマイナーな作品が、そんな大傑作だなんて……。『女の町』
(現在、小池滋氏の『女だけの町』というすばらしい翻訳があるのは周知の通
り)という日本語の題名があるように、田舎町が舞台で、女ばかり、しかもお
婆さんばかりが出てくる物語が面白かろうはずはない。珠玉の小品ということ
はあり得るかもしれないが、英文学の中からただ一冊選ぶべきものというのは、
いくら何でも大げさじやないか。
 『クランフォード』を読み終えたとき、私は自分の浅はかさに大いに恥じ入
っていた。作品を読みもせずに書かれた「文学史」の偏見を鵜呑みにしていた
だけではなく、「無人島へ持っていく一冊」の意味するところが、全く理解で
きていなかったことに気づかされたからである。『クランフォード』・はとて
も面白い小説だった。確かに、誰が見ても納得できるような、英国小説を代表
するような傑作ではないのかもしれない。けれども、私にとって無人島に持っ
ていく一冊の最有力候補の一つとなったことは問違いなかった。
 つまり、「無人島へ持っていく一冊」というのは、特別の意味があるのだ。
大芸術作品というのでは、むしろ重荷になる。人聞であることの喜びや悲しみ
を過不足無く描き出し、最終的には、孤独の中で生きる希望を与えてくれるよ
うな本でなけれぱならない。私は英国人の先生の言葉の意味を、ここでようや
く理解したのであった。
 しかし、実際に私が無人島へ携えていくであろう本としては、やはりディケ
ンズを一冊ということになるだろう。ディケンジアンにとって、選ぶべき一冊
はそれぞれ異なっているだろうと想像される。私の場合は、多分間違いなく、
『我らが共通の友』である。小説美学的見地から考えてみた場含のディケンズ
の最高傑作は、『リトル・ドリット』か『大いなる遣産』かのいずれかではな
いかと、私は思う。しかし、無人島で伴侶とするに足るものとしては、『我ら
が共通の友』を最終的に選ぶだろう。
 ディケンズの後期の作品は、少数の例外を除いて、いずれも高い評価が確立
しているにもかかわらず、『我らが共通の友』の日本語訳はなかなか出てこな
かった。それがこの度、二種類の翻訳が相次いで出版されたことは、この作品
を愛する人間として、まことに喜ばしい限りである。とりわけ、母校の大先輩
である問二郎先生の手になる翻訳が、入手しやすい文庫版で出たことは、感動
を共有できる仲間が我が国で急増することを意味している。『クランフォード』
についての私のレポートを、「我が意を得たり」という顔で聞いていた英国人
の先生を思い出す。本当によいものに対しては独占欲などはわかず、福音を広
めたいという気持ちが自然に生じてくるものなのである。
 ところで、特別に好きな作品であるだけに、翻訳が自分の抱いているイメー
ジと異なる日本語になっていたら、失望も大きくなってしまう。このような経
験はしばしばあるので、今回も多少の不安を持ちながら本を開いたが、冒頭の
文章を読んで、そんな不安は吹き飛んでしまった。
 「いつの年とは言わないが、現に我々が暮らしている今の世でのことだ。秋
の夕闇がデムズの川面にせまるころ、鉄のサザック橋と石のロンドン橋との間
を、うす汚れた、あやしげなポートが二つの人影を乗せて漂っていた。」
 初めて原作を繙いたときの、あのわくわくする気持ちが蘇ってきた。自然で
抵抗のない日本語であり、物語の世界にすんなりと入っていくことができる。
第一部のタイトルを「こんなはずでは……」としているのも秀逸だと思う。原
作の生命を翻訳でそのまま伝えるというのは、特にディケンズの場合、非常に
大きな困難を伴う。だが、時として、そのような不可能事も可能になるのだと、
今回確認させられた。私のいちばん好きな場面の一つである、ジェニー・レン
がユージンに「花」について語るところは、こんなふうに訳されている。
 「この近所には花なんかないのよ。あるのは花とは縁の遠いものばかりなの。
それでいて、こうやってここで仕事をしていると、それはそれはたくさんの花
の匂いがしてくるの。バラの匂いがしてきて、やがて床の上にバラの葉がいっ
ばい、小山のように重なっているのが見えてくるの。落ち葉の匂いがしてきて、
やがて手を−こうして−触ると葉擦れの音が聞こえそうなの。生け垣の白やピ
ンクのサンザシの匂いがしてきて、あたしがまだ見たこともないいろんな花の
匂いもしてくるの。だってほら、あたしが生まれてから見た花の種類なんて知
れたものでしょ。」
 この翻訳なら、たとえ原作が手に入らなかった場合でも、無人島へ持ってい
って後梅することは決してないだろう。



中島孤島と『クリスマス・キャロル』
A Christmas Carol and Nagajima Koto

宇佐美太一

 明治以降の日本における『クリスマス・キャロル』の翻訳本を通時的に目を
通していくと、少年・少女向けという形で出版されているものが非常に多いこ
とに気づかされる。日本の読者が幼少時より、『クリスマス・キャロル』の翻
訳本を通じて英国ヴィクトリア朝時代の一作家チャールズ・ディケンズをより
身近なものとして感じることができたということは非常に喜ばしいことであり、
かつすばらしいことであったと私は思う。
 数ある翻訳本(本年度上梓された伊藤廣里氏の豪華な装丁のものを含む)の
中にあって、翻訳者の作品への豊かな関わり方を私たちに示唆してくれるもの
として、中島孤島訳の『クリスマス・カロル』(『世界少年文学名作集』第十
三巻、精華書院内家庭読物刊行会、大正九年八月)がある。この翻訳本は、主
人公スクルージが少年時代に読んだという『アリ・ババと四十人の盗賊の話』
の翻訳を付録としてそこに載せている。
 これは、例えば作家後藤明生氏の「いかなる小説も、ぼつんと単独に存在し
ているのではなくて、作品AはBと、BはCと…という形で連続、関係しなが
ら存在しているということでず。その連続、関係をアミダ式にたどり、発見し
てゆぐことが、小説を読むということの最大の快楽ではないか。その連続、関
係が思いがけないもの、飛躍的、とつぜん的なものであればあるほど、読むこ
とによる発見の快楽は大きなものになるのではないか、と思います」(「小説
の快楽……読むことと書くこと」松浦寿輝編『文学のすすめ』、筑摩書房、一
九九六年、11−12頁)というエッセイの如く、一つのテキストが別の新しいテ
キストを生み出していくという、いわゆる 'intertextuality' の好個の一例と言え
る。
 ミハイル・バフチン、ジュリア・クリステヴァ、ロラン・バルト、ジョナサ
ン・カラー、さらにはジェラール・ジュネットといった現代文芸批評家の文学
理論とは全く縁のない、あの大正時代にあって、既にこのような斬新な発想が
試みられていたということに後の時代の私たちは驚きの念を禁じ得ない。後藤
明生同様、訳者中島孤島も小説を読むことの「快楽」を追及する人だったにち
がいない。
 作品『クリスマス・キャロル』はもともと児童文学として描かれたものでは
なかったけれども、日本に少年・少女向けのものとして多く紹介され、それに
よって幼い読者がディケンズの文学世界を身近なものとして感じ、理解を深め
ていった。このようにディケンズヘの理解というものを深く豊かに浸透せしめ
ることになった多くの『クリスマス・キャロル』の翻訳本の中でも、とりわけ
中島孤島訳の『クリスマス・カロル』は、現代性を帯びた面自い企画の作品で
ある。



ディケンズ・ユニバースに参加して
An Experimence in Dickens Universe

矢次綾

 この夏、八月三日から十日までの一週間、カリフォルニア大学サンタ・クル
ース校、クレスギ・カレッジのディケンズ・ユニバースに参加しました。第十
七回目を迎える今年は『デイヴィッド・コッパーフィールド』と『自負と偏見』
について。偉大なニ作品を扱うとあってかスケジュールがきつく、初めての渡
米の緊張感も手伝って、私は正直言って辛かったです。とはいえ、カフェテリ
アでの食事の行き帰りに鹿やリスに出くわすという素晴らしい環境の中、フィ
リップ・コリンズ先生やジョン・ジョーダン先生らと毎日挨拶を交わし、諸先
生の講演に耳を傾け、意見を交わし、午後には毎日「ヴィクトリアン・ティー」
が振る舞われる、という贅沢な一週間を過ごすことができました。「ヴィクト
リアン・エンターテインメント」として女優ミリアム・マーゴレスの独り芝居
(『オリバー・トウィスト』、バンブル氏とコーニ−夫人との円チープルを囲
んでのやり取り)と手品が披露される夜もありました。BBC制作のピデオや映
画の上映もさかんに行われましたが、ベッチー・トロットウッド叔母の「ドン
キー!」等の台詞を、スクリーンを観る全員がわくわくしながら待ち、台詞が
発せられる前に笑いが漏れてしまう、というのは、それは楽しいものでした。
 参加者は、ディケンズやオースティンの小説を授業で扱っているというアメ
リカの高校の先生が多かったような気がします。なお、やはりアメリカの高校
の先生である私のルームメートによると、ディケンズではやはり『大いなる遣
産』が一番よく授業に使用され、また、イギリスの高校ではテキストを読み込
み、暗誦することに重点が置かれるのに対して、アメリカはより分析的だとか。
アジアからの一般の参加者は、日本の中学の先生と韓国の大学の先生と私の三
人。また、北京の大学の教授であり、ディケンズの翻訳者でもある張揚、張玲
ご夫妻が講演者として招待されていました。「中国におけるディケンズ」と題
して、ご夫妻は、北京や上海といった大都市ではディケンズが随分読まれるよ
うになってきていること等、報告されました。ディケンズの小説を題材にして、
左ページは英語、右ぺ1ジには中国語といった見開きの語学教材も出版されて
いるとか。中国でディケンズが読まれている!と考えただけで、私はわくわく
してきます。それで、中国のディケンジアンがユニバースに招かれていること
を、私はずっと嬉しく思っていましたが、お二人の温厚なお人柄に実際に接し
てみて、嬉しい気持ちはますます大きくなったのでした。
 スケジュールやアメリカ英語攻撃を辛く感じつつも、和やかで楽しい一週間
を送ることができたことについて、主催者のジョン・ジョーダン先生やコーデ
ィネーターのジョアンナを始めとしたスタッフに心からお礼を言いたいと思い
ます。特に、笑顔を絶やさず、常に気を配ってくださったジョーダン先生のお
人柄には感動的なものがありました。ユニバース初日、クレスギ・カレッジの
あまりに素晴らしい自然環境に「ここが本当の大学だろうか」と戸惑い、さら
に、受付時間より数時間早く到着して、おずおずとオフィスを訪ねた私に、デ
ィケンズのイラストがプリントされたTシャツ姿のジョーダン先生がにっこり
微笑んで手を差し伸べてくださって、私はどんなにほっとしたことか!幸運な
ことに、ジョーダン先生とお別れの握手をすることもできました。またぜひ参
加したいと思います。なお、来年のユニバースは『オリバー・トウィスト』と
『不思議の国のアリス』について、です。


一九九六年度総会

研究発表(一)

司会 青木健 

 今回の研究発表で、川澄氏はディケンズの第一回目のアメリカ訪問をとりあ
げ、その足跡を綿密に辿っている。毎年夏季休暇をアメリカで過ごす間に、現
地を訪れ、また公文書館で得た第一次的資科を駆使して論じられる氏の発表は、
机上の論を超えた重みがある。



ディッケンズ文学の秘密
Dickens and America
--A Key to Dickens' Literature

川澄英男

 ブリタニア号、無事ポストン港に到着。一八四二年一月二十二日、税関を通
過したディケンズと妻のケート、女中のアンは宿泊先のトレモント・ハウスヘ
向かった。ホテルに着いたディケンズは船酔いや長旅による疲れにもかかわら
ず、さっそく冴え渡る満月の下、街路に雪の積み上げられたポストンの街へく
り出している−−ディケンズニ十九歳。
 一夜明けた朝日にまぶしいポストンの第一印象は、"...the air was so clean; the 
honses were so bright and gay ...the brickes were so very red...the blind and railing were 
so very green..." と、何もかも新しい新世界の清々しい朝を鮮やかに伝えている。
その後ニューヨーク、フィラデルフィア、ワシントン、リッチモンドと主要都
市を訪れ、その問、W・アーヴィングの歓迎を受け、大統領タイラーに接見する
一方、さらに深くアメリカを観察しようと、遠く西部開拓最前線の町セントル
イスーにまで足を伸ばしている。
 正味三力月という短いアメリカ旅行中、過密なスケジュールにもかかわらず
ディケンズは、寸暇を措しんで各種施設を見学し、打ち続く歓迎会へ出席し、
人気作家を一目見ようと押しかける人々との会見をこなし、その上フォースタ
ーを初めとする友人・知人・家族へおぴただしい数の手紙を書き送っている。
そして驚くべきは、ペンシルバニア州の州都ハリスバーグからオハイオ川へ出
るまでの運河船でのディケンズだが、朝は五時半にはすでに起床、半分凍って
いる運河の水をすくい上げて顔を洗うと、運河船を曳く馬の通る曳き道に飛び
移り、馬の歩調に合わせて五〜六マイルのジョギング。「休む」などという言
葉はディケンズの辞書にはない。
 しかもディケンズは国際著作権確立を要求するスピーチを再三にわたってし
たことで、各方面から厳しい非難と中傷を受けており、精神的にも大きなダメ
ージを受けていた。そのことを考え合わせると、朝からのこの元気、まさに超
人的である。ディケンズ文学の秘密を、アメリカ旅行に密着取材するわれわれ
は図らずも、ディケンズのこの早朝ジョギングに発見するのである−−天才と
はかくなるものなのであろう。
 運河船を降りたディケンズはピッツバーグで汽船に乗り換えオハイオ川を下
り、途中シンシナチ、ルイヴィルを通ってミシシッピー川との交差点に位置す
るカイロ(Cairo一すでにカイロとよび慣れされているが正しくはケイロと発音
する)をまわり、北上してセントルイスへ。カイロはなぜか『マーチン・チャ
ズルウィット』でも「いまわしいカイロ」としてことごとく忌み嫌われている
町であるが、ディケンズが投機に矢敗した開拓村であったとの憶測がなされた
ほどである。またセントルイスがディケンズのアメリカ旅行の折り返し地点で、
帰路は往路をシンシナチまで戻り、そこから新たに陸路でエリー湖に出てカナ
ダに入り、一力月程カナダに滞在した後、ハドソン川を南下しニューヨークに
戻るというコースをとっている。
 シンシナチでベン・フランクリン号を降りたディケンズー行(ボストンで雇
った秘書のジョージ・W・パトナムも同行)は今度は馬車でオハイオの森を抜け
るわけだが、コロンバスまでの百二十マイルは小石を敷きつめたマカダム道路
で時速六マイルで「疾走」、比較的快適な旅となった。しかしコロンバスから
エリー湖に近い上サンダスキーまではそれまでの道とはうって変わって、丸太
を敷いただけの「コーデュロイ」道路。うっ蒼とした木々の生い茂る中、両側
には沼や湿地が続き、敷きつめられた丸太の上を轍が大きな音を立て、馬車は
激しく前後左右に揺れながら突き進む。その度に「重なり合って床に投げ出さ
れたかと思えば、はたまた天井に頭を激しく打ちつけられる」−−その体験は
とても言葉で伝えられるものではないと、あのディケンズが音を上げている。
昼食の後さらに北へ向けて走り続げていくうちにいつしか日はとっぷりと暮れ、
道はすますま狭くなり、両脇の木の枝が馬車にぶつかって析れ、析からの凄ま
じい稲妻と重く低く轟く雷鳴の中、やっとのことで上サンダスキーの小さなイ
ンディアン村に到着。
 当時「オハイオ州の北部一帯は途切れることのない森」に覆われていて、た
だ週に三回郵便馬車が通うだけの全くの辺地。そんな昼なお暗い森の中に一軒
の丸太小屋とうまやが、ひっそりと建っている。馬を換えるために立ち寄った
一行を年配の女性が迎えるが、隣の部屋では二人の美しい娘が糸を紡いでいる。
予定外の到着に娘たちは、今頃旅をするのは一体誰なのかと不思議に思ったが、
恥かしくて聞けないでいる。それを察したパトナムは、こんな森の奥の住人が
果たしてディケンズの名を知っているのだろうかと好奇心から尋ねてみると、
娘たちは "Is it indeed!" と目を輝かせて答え、ディケンズが見えるところまで出
てきて、そっと腰かけた。
 馬の交換も終わり間もなくして馬車に乗り込んできたディケンズにパトナム
は、二人の娘がディケンズの作晶を読んだことがあり、思いがけない幸運でデ
ィケンズを見ることができて嬉しかったと話していたことを伝えると、ディケ
ンズはそれを心から喜んだ。滅多に人も通わぬオハイオの森の奥にまで、ディ
ケンズの名声はとどろいていたのである。
 すでに人気作家としての地位を不動のものとしていたディケンズは三十歳の
誕生日をアメリカで迎え、六月七日、二つのロッキングチェアと白いハヴァナ、
スバニュエル犬を土産に、短いアメリカでの滞在を終え帆船ジョージ・ワシン
トン号の人となった。しかしこのアメリカ旅行は、P. Ackroyd や J. Meckier も
指摘するように、後のディケンズにとって重大な意味をもつ旅となったのであ
る。



研究発表(二)

司会 松村昌家

 ユニークなテーマを掲げた今回の発表では、講師新野緑さんのテクスト分析
の鋭さと歯切れのよさが光彩を放った。独自の視点と意表を突いた読みが、知
牲や感性と程よく融け合っており、議論の構築が極めて緻密であったことが、
ことのほか印象的であった。



Bleak House における「読むこと」
--時間・テクスト・主体
Time, Text, Subjectivity: "Reading" in Bleak House

新野緑

 Bleak House は、当時の英国社会全体を包み込むスケールで、登場人物も多岐
にわたる。一見無関係に見えるこれらの登場人物の間には、しかしながら、密
かな連関の糸が張りめぐらされ、それらの糸を手繰って隠された意味を読み取
る解読の行為に、自ずから読者を誘ってゆく。
 登場人物のほとんどを巻き込んでえんえんと続けられる訴訟ジャーンディス
事件を審判中の大法官裁判所は、「読むこと」をテーマとするこの小説世界全
体の象徴でもある。遺産相続をめぐるその訴訟は、遺言書というテクストの背
後に隠された個人の意志を読み解こうとするものだ。しかし、残された三通の
遺言書はそれぞれ内容が異なり、その最後のものにはそれを燃やそうとした形
跡さえあるのだから、遺言人の意志は、本人にも把握できない不確かなもので、
読み解くべき究極の意味は実在しないことが分かる。ところが、訴訟人達は、
本来不在の意味が必ず存在するという虚しい幻想に捉えられ、決して下されな
い判決を求めて解読の行為を果てしなく続けてゆく。
 このように空虚な世界の中で不在の意味を求めて果てしなく彷徨し続けるの
は、訴訟関係者のみではない。目的もなく町をうろつく浮浪児のジョーや、倦
怠の人デッドロック夫人、そして最後の審判を待ち続ける狂人のミス・フライ
トも同じ無意味な世界に生きている。しかも興味深いことに、不在の意味を追
い求める登場人物の様々な葛藤は、ちょうど訴訟が遺言書という「書かれた」
テクストから始まったように、常に「読む」ことと「書く」ことに結びつけら
れて、大法官裁判所を中心とする小説世界をテクストの世界、そして登場人物
の行為をそのテクストを読み解く読書行為の寓意として読者に印象づける。
 社交界に君臨するデッドロック夫人の隠された過去をめぐる謎解きの物語は、
訴訟事件とならぶ小説のいまひとつの重要なプロットでありながら、訴訟事件
との関連の薄さを批判されることが多かった。かつて私生児エスタを生んだ彼
女の過去は、登場人物と読者の双方に置かれた謎であって、最終的に、恋人ホ
ードンが葬られた貧民墓地の前で「死んだ子の母親」として息絶えた彼女を見
いだすに至ってその謎解きの物語は完結する。しかし、ジョン・ケアリーも指
摘するように、私生児までなした彼女の激しい情念の物語は、明確な輪郭を与
えられぬまま、彼女のエスタへの告白の手紙、そしてエスタの手記全体へとず
らされて、読者を果てしないテクスト解読に誘ってゆく。すなわち、大法官裁
判所で不在の意味を、あると信じて訴訟関係者が繰り広げるテクスト解読の行
為は、デッドロック夫人の物語では読者自身によって反復され、ともに「読む
こと」のアレゴリーとして、テクスト、あるいはそのテクストが映す「世界」
の意味の空白を語ることになる。
 それでは、この小説は、読むことの不能を、世界に人間的な意味をもたらす
主体がないことをのみ語った否定的な物語なのだろうか。小説の一方の語り手
であり、物語のヒロインでもあるエス夕はその問いを解く鍵を与えてくれる。
罪の子として自己のすベてを否定されて人生を始めた彼女の自己形成にいたる
物語は、訴訟関係者やデッドロック夫人の読者と同様に、意味を消去された世
界の中で人間的な意味を探究することを中心に展開する。ふたつの異なる語り
手を持つこの小説において、エスタの遠近法を持った「歴史」としての語りは、
彼女の時間意識をも反映し、断片化した自己とその周囲の世界をつなぎ合わせ
意味づけるひとつの可能性を示している。しかし、直線的な時問の流れにそっ
て、世界や自己を意味づけ、主体を確立するエスタは、判決による意味づけを
求める訴訟関係者の行為を反復しているように思われる。とすれば、訴訟人た
ちが次々と破滅するなかで、なぜ彼女だけが「読む」ものとしての成功を約束
されるのだろうか。
 周囲の人々の真実を読み取る鋭い目を持ちながら、自分の考えを述べること
に臆病で、常に言いわけの言葉を差し挟むエスタの「慎み深さ」は、批評家か
ら偽善として批判されることが多かった。しかし、先に述べた観点から見れば、
エスタの語りの重要性が理解できるだろう。つまり、彼女の語りの様々な揺れ
は、自分の主観的な意見や解釈と客観的な真実とを厳密に区別して、事実の相
対性を常に意識している彼女の「読む」主体としての特質を表しているのであ
る。そして、このエスタの不安な語りこそが、究極的な真理がすでに失われた
世界にあって、主観的な歪みを排して世界や自己の意味を読み取る唯一の方法
であることを、ディケンズは語ろうとしたのではないだろうか。



研究発表(三)

司会 北條文緒

 楚輪氏は今回の発表で、ディケンズにおける「小説と映像」の関係を詳細に
論じている。ディケンズの作品が、映画、ビデオといった二十世紀特有の主要
媒体になぜ適合するのか、その秘密を五つの根拠から解き明かしている。氏の
綿密な論証について、フロントとの間に熱心な質疑応答がなされた。



なぜディケンズはビデオ化されるのか?
--小説と映像--

Why are Dickens's Words translated onto the Screen?
 Cinematic properties of Dickens's fiction

楚輪松人

 英文学史上、最も翻案されることの多い作家の一人ディケンズ。なぜ、彼の
小説は、二十世紀の主要媒体である映画・ピデオヘと容易に借り出されるのか? 
A. Wilson は、ディケンズが「イギリス小説に最初の映画的な動き」をもたらし
たことを指摘している。果たして、ディケンズという作家は、いかなる意味で、
映画的な小説家なのだろうか?
 第一に、ディケンズは演劇的な作家である。「すべての小説家は劇の形式を
採らないかもしれないが、実質上、舞台のために書いている」と彼は言う。「た
だ的確に見るだけでなく絶えず劇化しながら見るヴィジョン」(R. Williams)。
この小説作法が、ディケンズ独自の特徴的な見方ということになるだろう。
 第二に、映画が発明される以前、二つの意味で、ディケンズは既に映画的な
作家であった。一つは、映画のカメラワークを意識させるような描写の方法。
「ディゾルブ」、「大写し」、「遠写し」、「パン撮り」等々。鑑賞者/読者
の反応を指揮し操作する映画の語りと小説の語りの類似点。ディケンズにおい
て、カメラの「視点」を設定するカメラ技術は、小説の語り手の「声」とパラ
レルである。二つ目は、「クロスカット」、「モンタージュ」などのフィルム
編集作業の手法を、ディケンズは既に文学において先行していた。
 第三に、ディケンズは、文学の映画化、「翻案」が成年に達したことで恩恵
を受ける作家である。誕生以来百年を経た映画という新媒体も、文学の受け皿
として、表現のための新しい語彙・ヴィジョンの提示が可能となって「翻案の
時代」が到来したのである。一つの教訓としてある映画製作者は言った。「最
良の映画はB級の文学から生まれる。偉大な文学には漠とした特質があり、映
画にはその偉大さが把握できない」と。無論、映画という媒体が「偉大さ」の
表現に「卑小」すぎるということはない。翻案は原作の奴隷でもなければ、そ
れに劣るものでもない。成熟した媒体は成熟した翻案をもたらすのである。
 第四に、ディケンズは灯を見る作家である。一ディケンズは本質的にはリア
リスティックな小説家ではない。彼はメタフォリカルな原理で、その小説を展
開させる時、最高の作品を達成する」(D. Lodge)という指摘がある。ディケン
ズは、実在するものの要求に作品を従属させる、あるいはスタイルよりも真実
の方を重要視するような類の写実主義の作家ではない。彼は、端的に「ヴィジ
ョネール(見る人)」であった。
 第五に、ディケンズは「会話力」の作家である。ディケンズの方法は、G. Eliot 
のように筆を止め、自分が創造したものを注解してそれらを心理学的に解剖す
ること、あるいは H. James のようにテクストの有機的組織を分析してその繊維
を細部にわたって明らかにすることとは無縁である。ディケンズの方法は、外
面の観察の深さ--表層(目に見える外見の特徴)の深層(内面の変わることのな
い真実)に巧みに符合させる外面的な表示--にある。
 ディケンズは世界における「言葉の力」の重要性を知っていた。作者あるい
は登場人物の言葉であれ、ディケンズの言葉は、決して中立ではなく、意味を
伝えるだけの単なる手段ではない。John Austin の所謂、言葉の「遂行的」
(performative)な次元--言葉は、世界内の、また世界に対する行為--ということ
をディケンズは知っていた。例えば、登場人物の心理的洞察には、説明の言葉
など必要とせずに、人物に自分自身を表現させる「会話」によって、彼らを真
に実在感のある存在にする把握力を彼は持っていた。特に、"ideolect" には精通
していた。次の言葉は至言であろう。"A novelist who is skilled in reproducing speech 
does not need to tell us very much about a character.  It is sufficient that we are shown 
the character."  (B. Richard; italics original)
 最後に、「なぜディケンズはビデオ化されるのか?」という問いには、次の
ように答えたい。ディケンズ全体を通して指摘できることとして、彼のテクス
トには道徳的・政治的メッセージ、あるいは単純な「音と映像」のイメージに
還元されることを拒否するような何かがある。映画的な作家ではあっても、あ
る意味で、ディケンズは「翻訳不可能な作家」である。解釈には、人物の言葉
遣い、アクション、イメージ、アナロジー、前兆への注意が要請される。読者
は表層の意味に思わず釣り込まれて、容易に深層を看過してしまうことになり
かねない。読者に多くを要求する点で洗練されていると同時に、誤解や無理解
に読者を導くという点で厄介でもある。その複雑・巧級なディケンズのビデオ
化は、究発表同様、製作者の「一つの解釈」提示の試みなのである。



一九九七年春季大会

研究発表

司会 青木健

 本年度の春季大会は六月十二日に神戸大学瀧川記念会館で開催された。復興
なった神戸の町を一望できる会場には、いつにも増して多くのディケンジアン
が集まり、研究発表及びシンポジウムを聴講されるとともに積極的に質疑応答
に参加された。研究発表では、まず、山口大学の廣野由美子さんが、『大いな
る遺産』を「子どもの視点」によってどのように描写されているかを、主に技
法的な面から級密な論を展開された。続いて、大阪学院短期大学の永岡規伊子
さんが、『リトル・ドリット』を「家族神話の崩壊と再生」と題して論じられ
た。フロントからも発表後積極的に質疑あり、十分な盛り上がりを見せ、司会
者としても満足のいく研究発表であったと思います。



ディケンズの「子どもの視点」
--Great Expectation について--
The Child's Point of View in Dickens's Narrative: A Study of Great Expectations

廣野由美子

 ディケンズは、子どもを小説の中心人物として本格的に登場させた作家であ
る。ディケンズが創造した子ども像の内容については、すでにじゆうぶん論じ
られてきた観がある。では、ディケンズはそれらの子どもたちをどのように描
いているのだろうか。語りの視点という面に限って見ると、ディケンズの初期
の作品では、子ども独自のものの見方だけではなく、子どもを哀れみ美化する
大人の視点が介在しているのに対して、後期の作品では、より本格的な子ども
の視点が語りに導入されていったのではないだろうか。発表では、Great 
Expectation を取り上げて、主人公の幼年時代の語りの視点の特色を検討し、作
品全体における〈子どもの視点〉の意義を探る。
 まず、ピップの幼年時代の語りを検討してみると、いくつかの特色が指摘で
きる。第一に、子どもが好む単調な繰り返しのリズム、お伽話のような独特の
抑揚が多用されていること。第二は、子どもの認識過程にそった限定的視点が
用いられていること。第三には、子どもの目が捕らえた映像やイメージが顕著
に表れ、お伽話の世界との親近性が認められること。以上のような諸点から、
ピップの幼年時代の部分では、単に子ども時代を回想する視点だけではなく、
子どもの知覚領域・属性にきわめて近似した〈子どもの視点〉が用いられてい
ることが立証できる。
 では、ピップの幼年時代以降では、語りの視点がどのように変化していって
いるだろうか。具体的に、時を隔てて同じ対象を描いた叙述を取り上げて比較
してみると、幼年時代と青年時代では、視点の性質がかなり異なることがわか
る。例えば、平坦な沼地の風景描写は、幼年時代には、子どもの目の低さとい
う物理的な条件によって映像的に強調されているが、青年時代には、人生を展
望するピップの観念で色濃く染め上げられている。幼年時代に数多く見られた
擬人化表現は次第に減り、登場人物を取り巻くお伽話的雰囲気も、希薄になっ
てゆく。このように、物語の進行とともに〈子どもの視点〉が変質し、失われ
ていっていることがわかる。つまり、ディケンズは後半部分で〈子どもの視点〉
を意識的に制限していると言えるのである。
 作品中には、しばしばピップの見た悪夢の話が織り込まれているが、これら
を描く目は、幼年時代から青年時代に至るまで、基本的に変わらない。各々の
夢の内容や性質を検討してゆくと、そこで用いられている視点が、〈子どもの
視点〉と多くの共通点を持つことがわかる。つまり、作品の後半部分では、夢
という形で〈子どもの視点〉の変容の跡が見られ、〈子どもの視点〉特有の発
想・映像・知覚等が夢の中に吸収されていると見ることができるのである。こ
の小説は、夢が醒めてゆく過程をさまざまな面で形にした物語であると解釈で
きる。そのプロセスは、語りの視点という技法の面からも鮮やかに示されてい
ると言えよう。
 近年の物語の批評理論では、一般に implied reader の存在が想定され、児童文
学の批評理論では、この中にさらに implied child reader と implied adult reader が
存在すると見る。この概念を適用してみると、ディケンズが Great Expectations に
おいて子ども像を描くさいに想定している implied reader は、 implied child reader 
に極めて近似した性質を帯ぴたものであることがわかる。それゆえ、この小説
のある部分を読むと、私たちは自分自身の中に潜む implied child reader を呼び覚
まし、〈子どもの視点〉に合わせる調整を余儀なくされる。これが、作品と読
者の間に強烈な焦点が獲得される仕組みの一つであるとかんがえられるのでは
ないだろうか。このように徹底した〈子どもの視点〉を用いているという点で、
ディケンズの技法の新しさは、他の同時代作家たちが描いた子ども像と比較し
てみても、際立っている。それは二十一世紀のモダニズム作家ジェイムズ・ジ
ョイスの言語実験を先取りしたものであるといっても過言ではない。



『リトル・ドリット』における家族神話の崩壊と再生
From Dissolution to Restoration: A Family Myth in Little Dorrit

永岡規伊子

 『リトル・ドリット』は Dorrit 家と Clennam 家という二つの家族の歴史をメ
イン・プロットとして展開し、謎となっていた両家の関係の解明と結婚による
融合によって幕を閉じる。これら二つの家族は、前者は現実に目を閉ざし、後
者は真実を隠すことによって偽りの世界に生きている。そのような虚構の中で
育った Amy と Arthur という二人の主人公はともに自虐的で自己主張のない、
いわば本来の自己を抑圧した人物として登場する。この作品は、ある家族が共
通に持つ意識や価値観という意味での「家族神話」の崩壊と、それに伴う主人
公の「家庭という監獄」に抑圧された自我の解放のドラマでもある。
 Amy は牢獄の外の世界で働いて家計を支え、家庭の中では「炉端の天使」の
役割を負うことによって、「労働者」としての自己の現実と「ミドル・クラス」
の娘という二重のアイデンティティの間を揺れ動く。また彼女は「無垢」の象
徴である一方、「世俗的」な知恵を働かせて家族を支えるという二面性を備え
た暖昧なヒロインとして描かれる。しかし、女性労働を恥とする中流以上の階
級の文化の中にあって、家族のステイタスを保つために働きながら、その事実
を隠そうとする多くの女性労働者の姿を作者は Amy に描いているのであり、こ
のような相反する属性を要求されたのが当時の理想の女性像の裏に隠された現
実であった。 Amy は階級とジェンダーという二つの面で二重性を負っているの
である。
 そして Amy にとって何よりも大きい抑圧の原因となるのは、家族の中で彼女
だけがスケイプ・ゴ‐トとして当然のごとく過重な役割を担わされていること
である。この意識が作者自身の少年時代の投影であることが、"Little Amy" では
なく、"Little Dorrit" という中性的な呼び名を与えたことにも表れており、作者の
怒りはフェミニズムの立場からではなく、家族のダイナミックスの中での抑圧
に向けられていると言えよう。 Amy は自然な感情や欲望を抑え込んだ結果、精
神的不調をきたした非現実的とも評されるヒロインとなる。それは次の点に表
れている。一つは彼女の寡黙と過度に控えめな態度に表される感情表現の乏し
さである。次に、家族への怒りを押さえた精神的抑圧は彼女の食欲すら奪う。
これは確かに Amy の女性性の問題から解釈することも可能だが、女性への社会
規範と家族における役割期待という二重の抑圧を同時に受けた結果でもある。
三つ目に、 Amy のダブルである Maggy が受けた家族からの虐待のアリュージ
ョンによって、彼女への精神的虐待による隠されたトラウマが示されている点
である。そして四つ目として、抑圧された Amy の自我が彼女を覆う影として繰
り返し表されることも挙げられる。
 第二部において一家が富を得てからの Little Dorrit は「内面生活の実在感のな
さ」に気づき、「マーシャルシー監獄こそが現実」と感じるようになる。そし
て家族から心理的に離れ、家族システムの呪縛から解放されるに従って、彼女
の意識の中で「家族神話」は壊れる。それと同時に、虚構の上に立った Dorrit 家
は William の悲劇的な結未によって崩れ去る。彼女の家族への批判力の目覚め
は、分裂した自己のアイデンティティの統一と白我の回復をもたらすのである。
 こうして彼女は、経験と価値観において共通の基盤に立つ Arthur と結婚する。
作品中で語られるフェアリーテイルを象徴的に捉えるならば、「小さな女」が
隠していた「光輝く影」は Arthur であり、Amy の隠された自我でもある。そ
れゆえ監獄白墓場で彼女が Arthur と再会する場面において、影の統合によって
二人は再生することになるのである。彼女は自己のアイデンティティを生まれ
育った牢獄の労働者とし、本来の自己を表す十二歳の時以来身につけていた質
素な服装で結婚式に臨む。様々な解釈がなされているエンディングのシーンは、
このように自ら選び取った新たな価値観に基づく家族の形成を示唆するものと
なっている。多くの批評家が指摘するように、二人は擬似的な父子関係を原型
としていることで不安が残されてはいるが、それは現実の社会に根ざした生活
を予想させるものであり、二人が共通に持っていた理想の家族像という意味で
の「家族神話」の再生である。
 以上のように、 Dorrit 家の解体のドラマに焦点を当てて Little Dorrit の解釈を
試みた。 Little Dorrit には、ヴィクトリア朝の理想としてのミドル・クラスの家
族の神話の終焉と、家族における個の抑圧と回復という普遍的なテ−マとが二
重に描かれている。家族神話の再生はその後の近代家族の変化の中で、再び現
実と神話との新たな葛藤を生み出すことになるのだが、近代家族の流れの延長
上にあって家族の病いが問題化する現代においても、 Little Dorrit は新たな読み
方を可能にしてくれる作品であると言えよう。



シンポジウム

ディケンズと監獄
Dickens and Prison

司会 松村昌家

〔司会者の弁〕
 ディケンズは生涯を通じて監獄の影を引きずっていた作家であった。フィリ
ップ・コリンズ教授によって書かれた Dickens and Crime(一九六二)はつとに
有名だが、その対篇として Dickens and Prison があってもよいのではないか。
 本シンポジウムでは監獄の専門家、というわけではないが、ディケンズとの
関連でその方面に関心の深いお二人--西條隆雄、久田晴則両氏にご登場いただき、
それぞれニューゲイト・プリズンとマーシャルシー・プリズンについてお話し
いただくことにした。私もそのあとから、さほど有名ではないが、ディケンズ
との関係において、相当の重要性をもつホースマンガー・レイン・ジェイルを
取り上げて、若干の蛇足をつけ加えさせていただくことにする。


Horsemonger Lane Gaol

松村昌家

 ホースマンガー・レイン監獄は、一七九一年から九九年にかけて建てられた
サリー州の刑務所なのだが、その八十年近くの歴史の中で最も世間の注目をひ
いたのは、一八四九年十一月十三日にここで執行された、マニング夫妻の絞首
刑であった。マニング夫妻は、同じ年の八月に、かつてのマニング夫人(マリ
ー)の恋人であったパトリック・オコーナーを自宅に誘って撃ち殺し、遺体を
隠したあと、彼の家に押入って有金と鉄道株等を盗んで行方をくらました。世
にバーモンジー・ホラーとして知られる事件である。
 当時すでに実用化されていた電信のおかげで二人は比較的短期間で逮捕され、
十月二十五日には有罪が決定、両人に対して絞首刑の判決がくだされた。夫婦
がそろって絞首刑にかけられるのは、一七〇〇年以来のこととあって、これが
まず話題を呼んだ。加えて、マニング夫人は、スイス生まれの美人、上流貴婦
人に仕えた経歴をもち、黒のサテン服を好むエレガントな婦人であったという
ことで、その人気は急激に高まった。そしてホースマンガー・レイン監獄にお
けるマニング夫妻の処刑は、空前のセンセーションを巻き起こすことになる。
 公開制絞首刑に殊のほか関心が深かったディケンズは、ジョン・フォスター
やジョン・リーチら五人を誘って、その日現場に詰めかけた三万人にものぼる
大群衆とともに、その処刑のありさまを目のあたりに見た。その結果として、
公開制の絞首刑(public execution)を非公開制のもの(private execution)にする
ことを強く訴えた、『タイムズ』あての、あの有名な書簡(一八四九年十一月
十四日付)が書かれることになる。彼はまた十一月十七日にも、同じ趣旨の内
容を盛り込んだ長文の手紙を『タイムズ』あてに書いている。
 当時『パンチ』画家として活躍中のジョン・リーチは、『パンチ』第十七巻
に、"The Great Moral Lesson at Horsemonger Lane Gaol, Nov.13" を描き、絞首刑執
行前夜の子どもたちを交えた大群衆の浮かれ騒ぎについて、見事な証言を残し
ている。もう一つ注目すべきは、へンリー・メイヒューの『ロンドンの労働と
ロンドンの貧民』第一巻によれば、マニング夫妻を題にしたプロードサイドが
二五〇万部の売れ行きを記録し、この手の刊行物のベストセラー第一位を占め
ていた、ということである。マニング事件の人気の程がうかがえるのである。
 一八五〇年以降、『ハウスホールド・ワーズ』に、犯人としてのマニング夫
妻や彼らの処刑に関する言及がしばしばなされているところから見て、彼らの
ことがディケンズにとっての一つのオブセッションとなっていたことは明らか
だ。中でも一八五二年十月三十日号所載の "Lying Awake" (Reprinted Pieces に
再録)には、宙づりになったマニング夫妻の姿に関して、ナイトメアリッシュ
な一節が含まれていて興味深い。
 周知のとおり、ディケンズのこのようなオプセッションは、『荒涼館』にお
けるオルタンスの創造へとつながるのだが、オルタンスがマリー・マニングを
モデルにして誕生した人物であることを証明するのには、単に彼女のフレン
チ・アクセントとタルキングホーン殺しをあげるだけでは不十分なのではない
か。それより先に、マリーがレディ・アン・ポールクやレディ・イーヴリン・
プランタイアといった貴婦人に仕えた経歴の持主であることをおさえる必要が
あろう。ついでに言えば、ディケンズはオルタンスの年齢を三十二歳としてい
るが、マリーが生まれたのは一八ニ一年、『荒涼館』が書かれた頃にはちょう
どその年齢に達した勘定になるのである。
 最後に、マニング夫妻を逮捕するのに最も功績のあったフィールド警部とデ
ィケンズとの関係について少しふれておく。
 フィールド警部は、ウィールド警部としてまず一八五〇年に『ハウスホール
ド・ワーズ』に登場し、"On Duty with Inspextor Field" (一八五一年六月一四日号)
によって、不朽の名を残すことになる。
 マニング夫妻逮捕の立役者がフィールド警部であるなら、オルタンス逮捕で
手柄を立てるバケット警部がフィールド警部をモデルに成り立つのも、自然の
成り行きだったというべきであろう。ディケンズが『ハウスホールド・ワーズ』
にフィールド警部の分身としてウィールド警部を登場させたときに、バケット
警部への道筋は、すでに出来上がっていたといってよい。ホースマンガー・レ
イン監獄は、マニング夫妻の絞首刑の舞合となることによって、ディケンズの
作家活動に少なからぬ貢献をしたということになるのである。



ニューゲイト獄をめぐって
On the Newgate Prison

西條隆雄

 ニューゲイト獄は『ボズのスケッチ集』『オリヴァー』『大いなる遣産』に
描かれている。少年ディケンズの見たニューゲイト獄は『大いなる遺産』のピ
ップが上京したときに見たものと似ていよう。セント・ポール大聖堂を背に黒々
と立ちはだかる「陰気な石造建築物」は、厚さ四フィートの石壁で囲まれてい
る。これは、一七八〇年にゴードン暴動で焼失したあと再建され、一八五七年
に大改造されるまで変わらなかったので、ディケンズの描くニューゲイト獄は、
ほぼこの時代のものと考えてよいであろう。
 ディケンズがはじめてニューゲイト獄を探訪したのは、一八三五年十一月五
日であり、この探訪記が『ポズのスケッチ集』(一八三六)に組み入れられる。
この探訪記は内部を詳細に伝えているが、同時にポズの特徴である、すばらし
い人間観察、いまにも悲しいドラマが母子間で演じられようとする、女性監房
の光景が鮮やかにとらえられている。
 一方、礼拝堂の異様な姿はポズにどこまでもつきまとう。ここには、中央の
一段と低いところに死刑囚席があり、死刑執行直前の日曜日には一〇人くらい
の囚人が、見物人の見守る中で「死刑囚のための説教」を聞くのである。一八
四五年には廃止になったものの、それまではこれが見せ物として、入場料を取
って一般に開放されていたのであった。ニューゲイト獄の教讃師は H. Cotton 
師で、年収は四〇〇ポンド(一八三四)。彼の仕事は、処刑の決まった囚人を
毎日プレス・ヤードに訪ね、ほとんど死刑囚と共に暮らしながら、改俊、祈り、
信仰を説くのである。
 その死刑囚は「死刑囚のための説教」を聞いたあと、独房に移される。神の
裁きの恐ろしさと翌朝に迫る処刑によって、死刑囚がどのような幻覚に襲われ
るか、迫りくる死の重圧におびえる精神をその極限状態においてとらえている
ところは、きわめて秀逸である。
 『オリヴァー・トウイスト』においては、ニューゲイト獄の恐ろしさを知り
つつ、これを巧妙に逃れているフェイギンが描かれている。彼は「自己保存」
を何よりも大切にし、手下どもは処刑台上において誇りと強がりを見せつつ英
堆として消えてゆくよう、うまく教育する。これは事実の小説化でもある。摂
政時代の特徴といえば、犯罪の若年化現象であり、絞首台に上る二〇人の内、
十八人は二十一歳未満であった。
 しかし、そのフェイギンもついに殺人帯助罪でとらえられ、ニューゲイト獄
に投獄される。有罪を宣告され、独房に監禁されたフェイギンに、死が刻々と
近づく。焦燥、恐怖、絶望がしだいに大きくなり、苦しみは凶暴と錯乱を招き、
彼はいつしか下等動物と化してゆく。死の恐怖におびえる犯罪人の内景描写は、
とりわけすぐれている。
 以上のように、ニューゲイト獄は前期作品群において部分的な成功をおさめ
ているが、『大いなる遺産』ではそれが主人公の運命に根本的にかかわり、本
人にわからぬところで彼を操ってゆくのである。ニューゲイト獄の影は、ピッ
プが期待し、夢み、山のあなたに向かって踏み出すと、必ずやそれを裏切り、
皮肉をからませ、涙さしぐみ帰らせるのである。
 第一章、墓場でピップを「逆さ」にするのは囚人であり、彼が(逆さに見た)
夢には、マグウィッチやニューゲイト獄が出てはこないものの、それが作品中
いたるところで読者に暗示されている。ピップが上京時に見たセント・ポール
寺院を背に黒々と立ちはだかるニューゲイト獄は、彼の期待と現実のギャップ
を示しており、彼の意識しないところで期待と夢の行きつく果てを暗示してい
るようである。また、エステラの上京時には、到着までの時間つぶしにジャガ
ーズの事務所に立ち寄ったところ、はからずもニューゲイト獄を見聞すること
になる。ここで彼は、ジャガーズ成功の秘密を知ると共に、自分がなぜ "taint of 
prison and crime" (235) に包まれているのかを思わずにいられない。エステラに会
ってこの思いは吹き飛ぶものの、別れ際に彼女が振る手を見て、彼はえもいわ
れぬ「影」に襲われる。結局、彼女はニューゲイト獄と深いつながりをもち、
ピップが夢見る華やかで上品な、教養ある世界は、犯罪世界と不即不離の関係
におかれている。そして、ピップニ十三歳のときに姿を見せる恩人は、彼の予
想を完全に裏切るマグウィッチであった。
 夢と挫折、期待と脆さ、紳士生活とその基盤の醜さは、小説の中にみごとに
虚構化され、ニューゲイト獄の影はこの作品においてすぐれた芸術的昇華を見
ているといえるであろう。



「マーシャルシー・プリズン」を中心に
On the Marshalsea Prison

久田晴則

 「私たちは肉屋とパン屋と険悪な関係になっていた。満足な食事にはほとん
どありつけず、そのうちに父親は逮捕されてしまった。」
 仲違いの原因は借金で、逮捕は債権者のパン屋ジェームズ・カーからの訴え
によるものだった。負債額は四〇ポンド。借金返済不能者としてジョンは、三
晩債務者拘留所に抑留された後マーシャルシー・プリズンに収監された。収監
期間は一八二四年二月二十日(金)から五月二十八日(金)の三ケ月間余り。
その時ジョンの年収は三五〇ポンドで、妻と五人の子供がいた。
 この四〇ポンドはどう解されるべきか。ほぼ同規模・同年収の家庭の場合(週
五〜六シリングのパン代)の約三年分に当る数値である。パン代の借金でこれ
だから、全体の借金の程度は推して知るべきだ。
 「自分には永久に陽は落ちた」という言葉を残してジョンは一人、やがて妻
と三人の弟妹も、プリズンの中に身を隠した。一人捨ておかれた長男のチャー
ルズは縁者ラマーの経営する靴墨工場で一年余り働く(一八二四年二月九日か
ら一八二五年三月末か四月初めまで)こととなった。一家の借金苦は父ジョン
のマーシャルシー・プリンズヘの「収監」を実現するとともに、就学願望を押
しつぶす形でチャールズの靴墨工場への「収監」をも強制した。この幾重もの
「収監」は、やがて、ディケンズの文学的構築を促進させるエネルギーとして
爆発し「拡張」していくことになる。
 プリズンは規模・種類を問わずロンドンに遍在してきた。国会議事堂の時計
塔の中に規律違反を犯した議員を拘束するためのプリズン・セルが設けられて
いる。テンプル・チャーチの二階の一隅に反抗的な十字軍戦士を餓死するまで
拘留した懲治独房が存在した。サザックでは、監獄一般の代名詞ともなった、
残忍極まりない「クリンク」が永年恐れられていた。フリートやニューギット
など十一世紀に起原を持つ大監獄のことは言うまでもないことだ。これら十七、
八箇所に及ぶプリンズに混じって、ディケンズのマーシャルシー・プリズンが
あった。これは一八一一年から四二年まで存在した、最も短命な監獄だった。
 ではこの監獄はどう成立したのか。同じ場所で十六世紀初頭には営まれてい
たホワイト・ライオンという「並の旅籠屋」(ストウ)が、その後、同名の州
監獄に転換した。十八世紀末、十四世紀から存在していた従来のマーシャルシ
ー・プリズンが使用に耐えられなくなると、国はこの州監獄を四二一ニポンド
十ニシリングで買い上げ、建て替え「新しいマーシャルシー・プリズン」とし
た。これがディケンズの短命な監獄である。
 靴墨工場とマーシャルシー監獄は、ディケンズには黒い脅威、悪夢、自由を
奪い希望を挫くものとして作用し、閉塞と暴力のイメジと捨てられた子供のイ
メジを生みつづけた。この文学的特徴は同時に、彼が自分のトロウマを乗越え
それと決別していく過程でもある。
 指摘されるように、『ピクウィック』(一八三七)のフリート・シーンはデ
ィケンズのマーシャルシー体験を直に、実に生生しく映している。獄内の実情
を報告しそれを改良しようとする作者の意志が、自発的な囚人としてのピック
ウィック氏の姿と彼の大きな感情の起伏の中に感じられる。『ディヴィッド・
コパーフィールド』(一八五〇)では、ディッケンズは心の中で一種の浄化を
経験し、具体的な意味での靴墨工場とマーシャルシーとの決別を成し終えたと
思われる。以降の作品でこれらを扱う作者の態度に冷静さが加わり、それらの
適用範囲は広がり、社会現象全体の中へ組み込まれたり、人問の心理の局面を
示す比楡表現として使われたりするに至る。『リトル・ドリット』はその最た
るものだろう。
 監禁で一時打ち拉がれていたウィリアム・ドリットはやがてそこに「ぼんや
りとした気休め」を発見し、それが「自由」であり「平安」であると分ると、
そこから一歩も這い上ろうとしない。代りに自らを「マーシャルシーの父」と
虚像化しそのもとに「彼自身の社会」を構築する。これは、獄中で娘と囚人仲
間の「寄生者」としての自分の生活を覆い隠そうとしてめぐらした種々の術策
の結果であった。二十三年後出獄してから、彼は自分の前身を知られまいと常
に警戒する。この種の心理的屈折と捕われの心は他のほとんどの人物にも観察
される。
 「社会」と「監禁」を結びつけた人間研究であるこの巨大な芸術的結構がそ
の中に「リアルなマーシャルシー・プリズン」を実に正確に組み込んでいる事
実は強い発見的な衝撃である。ディケンズは書き終えてからこの場所を訪れ、
「マーシャルシー・プレイス」に佇むと、昔の監獄と少しも変っていないこと
を確認している。この「プレイス」は、ドリット兄弟が、特に「ポンプのある
側、貴族の散歩する側を」と言って、よく散歩した「獄内の中庭」に相当する
部分で、壁沿いに東西に伸びた細長い空間である。そして驚くべきことに、こ
の監獄壁とそれに沿った細長い空間は「エンジェル・プレイス」という名称で、
当時とほとんど同じ素材と形状のまま、今なお実在しているのである。しかも
壁沿いに立っていた「ポンプ」も、カミング・ミュージアムの中ではあるが、
実在している。一七三年前ディケンズー家が苦悩しながら日々実際に歩いた、
マーシャルシー・プリズンのこの一部分が、ほとんどそっくりそのまま現実に
残っていることは奇跡というべきであり、大変貴重である。ディケンズ本人と
ディケンズ文学双方の中枢を形成したサイトは、この場所を除いてすべて取壊
され、地上から消えてしまっているのであり、実にこの奇跡のおかげで、私た
ちは、そこの中に立てば「長年の悲惨な年月の亡霊が群がり来るのを感じる」
ような場所を、この「エンジェル・プレイス」に持ち得ているからである。

フェロウシップ会員の論文・著訳書
(一九九六−九七年)

論文

Toru Sasaki, "Ghosts in A Christmas Carol; A Japanese View," The Dickensian, vol.92 
no.440 (Winter, 一九九六)
斉藤信平 「『ワット』試論−サムのワット経験」 『山梨英和短期大学紀要』
第30号 一九九六
那須正彦 「BBC "Spend and Prosper: A Portrait of John Maynard Keynes" について
--没後五十年、ケインズの肉声を聴く−」 『貯蓄経済理論研究会年報』第11
巻 一九九六
−−− 「J‐M‐ケインズ、幻の肉声を聴く」 『週刊東洋経済』 一九九六
佐藤真二 「公開朗読台本 "Sikes and Nancy" 研究--公開朗読の言語、手法、そ
して精神--」 『駒沢大学文学部英米文学科記要』第32号 一九九六
田中孝信 「『我らが共通の友』における階級と禁忌」 『人文研究』第48巻 
一九九六 大阪市立大学文学部
松村豊子 「ネリーディーンが語る『良書』の余白」 『文学研究』第24号 一
九九六
−−− 「センセーション小説研究の動向」 『津田塾大学言語文化研究所報』
第12号 一九九七
松本淳子 「Christ か Doppelganger Bridegroom か--Sydney Carton の『復活』へ
の模索--」『同志社女子大学英語英文学会 Asphodel 第31号 一九九六
要田圭治 「Hard Times の酒と群集一コウクタウンとプレストンの間」 『英
語英文学研究』第41巻 一九九七 広島大学英文学会
斉藤九一 「Francis Trollope の Domestic Manners of Americans と家庭の事情」 
『上越教育大学研究紀要』第16巻第2号 一九九七
楚輪松人 「模倣、剽窃、それとも創造?--ウォー、ワイルド、そしてアクロイ
ドの場合--」 『イギリス小説ノート』10 一九九七
川本静子 「世紀未の〈新しい女たち〉」 一九九五・一〇 〜 一九九七・三
『英語青年』二四連載
松村昌家 「J‐Sミル『自叙伝』−青年期のメンタル・クライシス」 『事鐙』 
一九九七・二
−−− 「ロンドン万博会場の幕府使節団」『図書』一九九七
−−− 「Mark Twain の『イギリス』小説--The Prince and the Pauper」 『英語
青年』 一九九七・八


著書

廣野由美子 『十九世紀イギリス小説の技法』 一九九六 英宝社
松村昌家 『イラストレイテッド・ロンドンニュース−−初期三十年の歩み−
−』 一九九七 柏書房
−−− 『祖国イギリスを離れて−ヴィクトリア時代の移民−』 一九九七 本
の友社
村石利夫 『漢字にたちまち強くなる本』 一九九七 KKベストセラーズ
−−− 『速読・三国志』 一九九七 PHP研究所
−−− 『漢字力をつける本』 一九九七 ベネッセ・コーポレーション


編著

吉田孝夫 『英語学の基礎』 一九九七 晃洋書房
東郷秀光 『なぜ「日陰者ジュード」を読むか』『1八1ディ文学の新しい鉱脈
を探る1』 一九九七 英宝社


訳書

間二郎 『我らが共通の友』 一九九七 ちくま文庫・ちくま書房
伊藤廣里 『クリスマス・キャロル』 一九九七 近代文芸社



編集後記
『会報』二十号をおとどけします。本号は、従来より増えて三十二ぺ−ジにな
りました。前任者中西敏一氏から受け継いでから七回目(十四号から引き継ぐ)
になります。この辺で、内容、体裁等に検討を加えてゆきたいと思っています。
御意見をお寄せいただければ幸いです。

(青木)

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