ディケンズ・フェロウシップ会報 第五号(1982年)

The Bulletin Japan Branch of Dickens Fellowship No. V

発行:ディケンズ・フェロウシップ日本支 部

ディケンズ・フェローシップ日本支部
1981年10月―82年9月

1981年10月31日(土)
総会 於成城大学
講演 司会 宮崎孝一氏
「殺人者を描いたディケンズの幽霊物語」
講師 中西敏一氏
「ディケンズと児童文学」
講師 北條文緒氏

1982年6月12日(土)
春期例会 於京都府立大学
講演 司会 米田一彦氏
「Bleak HouseにおけるChanceryについて」
講師 山本史郎氏
「Household Wordsについて」
講師 小松原茂雄氏
シンポジウム 進行 松村昌家氏
「David Copperfieldについて」
司会 川本静子氏
講師 亀井規子氏/滝裕子氏/高井由利子氏

◇東京地区月例読書会 於成城大学
(『ピクウィック・ペーパーズ』第25章まで)

ディケンズと漱石
間ニ郎

 「マセドンには川があり、マンマスにも川がある… そしてどちらの川にも
鮭がいる」、故に「マセドンとマンマスはおんなじようなものだ」というフル
ーリンの論法も、魚釣りの愛好家を相手にしゃべっている場合なら相当筋の通
ったものになろう、ということを、A・ハーベッジは『ある力―シェイクスピア
―ディケンズ・アナロジー』の序文で言っている。「ディケンズと漱石」とい
う、それぞれ特有(ユニーク)な世界を持つ二人の作家について一、二似てい
ると思えたことを述べてみるのに、なにやら弁明が要るような気がしてハーベ
ッジ先生の言葉を引用した次第だが、このこれから書く短かい文章の中で「故
に…」などとまで言うつもりはない。ごく素朴な、おどろきに似た気持で感じ
たことを書き、大方の御教示なども得られゝばというだけのことである。
 そのひとつは全く偶発的な体験で、この二人が若くして(ディケンズは二十
五才、漱石は二十四才)深い愛情を抱いていた義理の姉・妹をいわば突然に失
なった(いわばと書いたのは後者の@登世の場合は悪阻で、メアリーの文字通り
の急逝とはちょっと違うから)ということ。共に同じ屋根の下に住み、共にこ
よなき敬愛の情を抱き、共に人生の「咲いたばかり」の時に世を去った義姉・
妹に対して哀切の情に耐えなかったという点である。ディケンズのメアリーに
対する評価や感情の方は改めて述べるまでもないが、子規への手紙にみられる
漱石の悲しみにはその痛切においてディケンズのそれを思い出させずにはおか
ないものがある。「彼《原》程の人物は男にも中々得安からず况て婦人中には
恐らく有之問じく」「まことに敬服すベき婦人にて候ひし先づ節操の毅然たる
は申すに不及性情の公平正直なる胸懐の洒々落々として細事に頓着せざる杯生
れながらにして悟道の老僧の如き見識を有したるかと」その人柄を賛美するあ
たりは、「あの年輩の女性とは思えぬほどに愚かしさや虚栄の心を持たず」、
また「欠点ひとつない」、「こよなく完全な女性」とメアリーを語るディケン
ズと共通のものがあろうし、その追慕の念の熾烈なばかりの真率さにおいても
はなはだ似ているように感じられる。
 「一片の精魂もし字宙に存するものならば二世と契りし夫の傍か半生親しみ
暮せし義弟の影に髣髴たらんかと夢中に幻影を描きここかかしこかと浮世の覊
@(ママ)につながるゝ死@を憐みうたゝ不便の涙にむせぴ候」のあたりに、
メアリーの死後何ケ月も夜毎彼女の夢を見、五年の歳月の後なお彼女の傍に埋
められることを痛切に希ったディケンズを思わせられるのは私の思い込みであ
ろうか。勿論その後の手紙や作品への投影ということになると様相は大いに違
って来る。(江藤淳氏の説くように英詩の中の『彼女』をそのまゝ登世と見る
ことには問題があるように思う)この類似は、本当は「故に」と展開すべきも
のを秘めているはずであるが、今はそのことに対する素朴な驚きの表明(無知
なりし不勉強者の―)にとどめ、次に二人の作家の人間世界の見方のことにふ
れたい。ディケンズは、よく人生の偶然や類似や意外性を話題にして、「世界
は我々が思っているよりもはるかに小さく、我々は運命によって強く結びつけ
られているのだがそれを知らずにいる。遠く離れていると思われた人がしょっ
ちゅう袖すり合せている」などを語るのが何より好きだったとフォースターは
伝えている。人間の世界を動かしている人間以上のもの、あるいは可視的、直
接的な人間の認識を越える世界―それが人間の心理であれ、社会構造であれ―
ヘの関心と興味はディケンズの基本的な特徴であるが、その種の―特に「運命」
という言葉に託しての―人間の世の見方は、激石の場合もかなりはっきりとみ
られるようだ。「運命は一重の壁に思ふ人を終古に隔てると共に、丸い池に思
はぬ人をはたと行き合せる。…不可思議の糸は闇の夜をさへ縫ふ」(『虞美人
草』)、「平凡な出来事を重大に変化させる運命の力」(『門』)、等随所に
その表現がある。また「あの人(島田)が不意にやって@たように、其女の人
(お常)も、何時、突然訪ねて@ないとも限らないわね」(『道草』)などと
いうお住のせりふも、現在の中に不気味にひそむ過去を示唆する点で『大いな
る遣産』のマグウィッチを思わせるものがある。さらに、この二人の作家の比
喩的表現に見られる連想能力についても語りたいが、スペースがそれを許さな
い。ただ、事物の性質、特徴、調和性などに関する二人の感性にはかなりに共
通なものが見られるとだけ言っておこう。ディケンズと漱石は、相互の理解に
役立ち得る形で研究することが可能なのではなかろうか。

ディケンズと児童文学
北條文緒

 近年『エドウイン・ドルード』の未完の部分を書いたレイオン・ガーフィー
ルド(Leon Garfield)は、現在英国で最も活躍している児童文学作家の一人だが、
Devil in the Fog(1966)やSmith(1967)に始まる彼の作品は、ディケンズ文学の
いくつかの側面を、児童文学の領域でいきいきと現代に甦えらせている。例え
ば『アリス』などにも共通する言語の遊び、無生物であろうと動物であろうと
強引に人間くさくしてしまうアニミスティックな文体、そして死者や墓にまつ
わる気味の悪いイメージなど。
 ディケンズが書いたThe Magic Fishbone(1868)というフェアリィ・テールや
ゴースト・ストーリィがわれわれに印象づけるのは、彼の強烈な現実感覚とで
も呼ぶべきものである。現実の世界と乖離したフェアリィランドや、日常の裏
側でひそやかに息づいている死者たちの世界といったものは彼には無縁で、眼
前の騒々しく賑やかな人間の営みによってのみ、彼の想像力は触発された。そ
れがいかにファンタスティックな姿として定着されようと、生身の人間のひし
めく世界だけが、彼にとってリアルな世界だった。
 二十世紀の英国児童文学は、いわゆるタイム・ファンタジィと呼ばれる分野
に、最も優れた作品群を生んだが、それらの作品がいはばディケンズ的現実感
覚を否定した上に成り立っていることを思えば、ディケンズの児童文学への寄
与は、結果として少なくとも現時点では、ファンタジィの系列よりも、ストー
リィ性を豊かに具えたリアリスティックな作品の系列にたいしておこなわれた
と言えるようである。
 尚昨秋のフェロウシッブの会で発表したものを小論"Charles Dickens and 
Children's Literature"(東京女子大学紀要「論集」第32巻第2号)にまとめた。
御批判いただければ幸である。

『ハウスホールド・ワーズ』について
小松原茂雄

 『ハウスホールド・ワーズ』はディケンズが主宰した週刊誌で、一八五〇年
より一八五九年まで、約十年間にわたって刊行された。Anne Lohrliの研究によ
れば、この雑誌にはディケンズをはじめとして、当特の有名無名の作家やジャ
ーナリスト、合わせて三九〇人が寄稿しているという。たとえていえば、『ハ
ウスホールド・ワーズ』は三九〇人のメンバ−より成る仕大なひとつのオーケ
ストラであり、ディケンズが"conductor"として、その真中に立ってタクトを揮っ
ているのである。そして、このオーケストラの演奏する交響曲のライト・モチ
ーフはといえば、それは、ディケンズがこの雑誌の「巻頭言」の中で述べてい
る「人類の進歩」についての信念と「夏の夜明け」ともいうべき時代にめぐり
合わせた者の誇りとであるといってよいであろう。
 ここから、「進歩」をはばむ一切のものに対する改革主義の激しいキャンペ
インが、この週刊誌においてくりひろげられることとなる。しかし、ここには、
こうした改革主義のエネルギーと全く性質のちがう、もうひとつのエネルギー
の流れが見られるのである。改革のエネルギーは、いわば水平の方向に無限に
伸びていこうとするのに対して、これは、その平面から垂直の方向に脱出して、
人間個人の心の奥底にあるもの、人生の究極的な意義をとらえようとする。こ
うした脱出のルートには、(1)空想や想像力によるもの、(2)冒険やヒロイ
ズムや自己犠牲によるもの、(3)「自然」を媒介とするものなどが見られる。
 前者の「進歩」と「改革」を求めるエネルギーが奔流する水平面と、後者の、
それから垂直方向に脱出しようとするエネルギーの天国と地獄を結ぶ軸と―こ
れら二つの基本的な座標として、『ハウスホールド・ワーズ』の世界を把える
ことができでのではあるまいか。
(付記)
 京都府立大学での春期大会にて左の主旨の発表をさせていただき、その折に、
筆者を初めて『ハウスホールド・ワーズ』の世界へ導いて下さった青木雄造先
生と小池滋氏の御厚情に私事ながら感謝の言葉を述べさせていただいたが、帰
京して程なく、青木先生の訃報に接し、あまりに突然のことにおどろき胸ふさ
がる思いであった。あらためて故青木先生の御学恩を思い、御冥福を御祈りす
る次第である。

Bleak HouseのChanceryについて
山本史郎

 多くの批評家はBleak House(BK)を象徴的作品と看る点において一致してい
るように思われる。しかも、この作品がChancery(Ch)についての小説である
という大方の見解も合せ考えると、ChがBHの象徴的な核を形づくっていると
いう推論が論理的に導かれる。事実、批評家の大半は、このことを暗黙のうち
に前提としながら各々の作品論を展開してきたのであるが、一致を見るのはこ
こまでで、解釈の要となるべき、Chが何を象徴しているかという問題には干差
万別の解答がなされている。
 BHの出版直後から一世紀以上にわたって書かれた作品論を詳しく調べると、
Chを事実上の制度と同一視する最も狭義の解釈から、様々の中間的段階を経て、
Chに人間性そのものを読みとろうとする、考えうる限りで最も広義のものに至
るまで多種多様の解釈が見い出され、しかも、時代が下るにしたがって、Chに
賦与される意味が広義となり、拡散してきていることが注目される。
 さて、Chの存在を自明のものとしてしまう先入見を捨てて作品を眺めなおせ
ば、如何であろうか。こうした観点からの分析が示すのは、Chを小説に描かれ
た一制度として意識するとき読者が当然期待する、その構成員の人的側面、そ
の制度の機構的側面の二点に関する説明、描写が殆んど完全に欠落していると
いうことにほかならない。そして、Chは、その存在が登場人物に与える影響、
その存在を自明とする人々の態度や行為、更にはそれのメタフォリックなイメ
ージ等の、いわば、presuppositionによって現出させられているのである。読者
は影の中に実体を読みとるべく仕組まれているのである。そしてこのように、
Chの制度に対する事実的データが著しく不足しているが故に、読者がそこに読
みとる意味の幅が大きくなっているのである。Chはつまり、その中心的概念の
意味の不確定性にこそ、特色があるといえるのである。

《シンポジウムから@》
David Copperfieldのシンポジウムを司会して
川本静子

 『ディヴィッド・カッパフィールド』をめぐるシンポジウムでは、三人のパ
ネラーの発表をあらかじめ一つの枠組みの中で方向づけることはせず、各自に
とって最も関心深い問題を自由にお話しいたゞくことにした。共通の作品を取
り上げる以上、どんな角度から論じようと、各パネラーの論はおのずからどこ
かで噛み合ってくるだろうと、怠慢な司会者はきわめて楽天的に考えたのであ
る。その結果、滝さんはディヴィッドの成長という観点からこの作品を論じら
れ、亀井さんはハムの人物創造に作者の意図を探られ、高井さんは主要人物た
ちの人生への対処を彼らの家庭環境を手がかりに考察された。これらの内容に
ついては、各パネラーからの報告もあること故詳述はしないが、三者三様のア
ブローチは、この作品のディメンションをはからずも暗示する結果になったと
思っている。
 ところで、司会者としては、これら三つの発表が交差する地点から専ら問題
を捨い上げることになった。たとえば、ディヴィッドは自ら経験することによ
ってゞはなく、他者の経験から学ぶことによって成長したとする滝さんの見解
は、経験代行者の一人スティアフォースと主人公との関係を当然重視すること
になり、この両者の関係をペゴティ対ディヴィッドの関係と対置させて考える
高井さんの論と否応なくからみ合ってくる。と同時に、ペゴティが主人公にと
って一つのあるべき人間像であったとする高井さんの解釈は、亀井さんがノア
と息子との関係を下敷に提示されたハムにとってのペゴティ像と真っ向からぶ
つかってくる。こうして議論の接点を交通整理していくと、各パネラーの立脚
点が思いがけなく近かったり或は遠かったりすることが分かって、だからこそ
同一の土俵に上っていただく面白味が次第に増してきたように思える。
 議論がすれちがいに終わらず、各パネラー三巴となって論が論をよんでこそ
シンポジウムの妙味というもので、司会者はフロアからの助け舟に力を得て大
いに各パネラーをけしかけたつもりではあるが、シンポジウム後半の部がどれ
だけ実りある共同作業に成り得たかは、フロアの方々の裁断を仰がねばなるま
い。司会者の末熟さから、土俵の清めに時間がかゝりすぎたのではないか、か
つ、勝手に論を整理して各パネラ−に本意ならざる角力をとらせたのではない
かと反省している。それにしても、終了後汗だくであったのは、あの日の暑さ
の故ばかりではなさそうである。

《シンポジウムからA》
ある象徴的な夢について
亀井規子

 『ディヴィッド・カパーフィールド』第五五章、嵐の夜にディヴィッドが見
る夢がある。自分がとどろく砲声の中で、誰か親友二人と一緒に、どこかの町
を攻撃しているのである。この夢をこの作品の構図を象徴的に示すヴィジョン
として理解したい。つまり「親友二人」とはジェイムズ・スティアフォースと
ハム・ペゴティ、「どこかの町」とは旧約聖書のバビロンを指す、ととりたい。
そしてバビロンとは、作中二度も「現代のバビロン」と@されているロンドン、
ひいてはもっと広く、「賢明な父」のいない社会といってもよい。
 ディヴィッドは生れる前にすでに父は亡く、義父マードストンに虐げられて、
バピロンの幽囚のようにロンドンに送られ苦労する。
 スティアフォースも父がなく、母に甘やかされて育てられ、自由な生活を楽
しんでいるようだが、「賢明な父がいてくれたらよかった」とディヴィッドに
語る。導いてくれる人をもたず、自力で舵を取りながら生きて、遂に難破した
人なのである。
 ハム・ペゴティにも父はいない。海で遭難したのだ。伯父ダニエル・ペゴテ
ィに引取られている。エミリと婚約するまでのハムは間の抜けた人間のように
描かれている。またハムの性格を表わす語にsheepishという語が数回使われてい
る。「おとなしい」ととるより、迷える羊からの類推で、羊飼を必要としてい
る人のような「おどおどした」という意味が強いのではないだろうか。スティ
アフォースが「賢明な父」を必要としているのと同じくらいに、ハムも羊飼を
必要としていたといえる。ある場合にペゴティ氏が羊飼の役を果してくれない
からである。ペゴティ氏は善良な人だが、エミリやガミッジを甘やかすばかり
である。又、男にだまされて捨てられたマーサのような女への同情心は持てな
い人である。ペゴティ氏の限界である。エミリが駆落ちした時、相手が誰か、
ハムには察しがついたのに、ペゴティ氏には分らなかった。エミリに去られた
後のハムの心は、第五一章に述べられている。自分が結婚なんて約束さえしな
ければ、友達のように苦しいことを話して相談してくれたかもしれない。そし
てエミリを助けてやることもできたかもしれない、というハムである。ひたす
らに愛する人の幸せを願う感動的な言葉である。ハムは更にエミリのためだけ
でなく、村人のために我が身をかえりみぬ生活をしていく。だから難破した船
に乗っているスティアフォースを助けるために荒れ狂う海の中にとび込んでい
くのである。難破した人を助けることはできなかったとはいえ、人のために我
が身を犠牲にしたハムの姿に、戦いやぶれた故に悲劇的な様相をみせて読者の
感動をよびおこす。
 だが、この嵐の日に死んだ二人の人間、スティアフォースとハムに対して、
スティアフォースの方により大きな敬意がはらわれているようだ。旗でスティ
アフォースの死体を覆うのである。名誉の戦死をとげた人への礼をするのなら、
ハムに対してこそするべきであろう。この辺に、ディヴィッドのというより作
者ディケンズのスティアフォースヘの思い入れがあり、作品の中で、ハムの姿
が不当に影が薄くなっているゆえんである。
 かくて『ディヴィッド・カパーフィールド』という作品の一つの構図として、
バビロン攻略の戦いに、スティアフォースとハムの二人が生命を落し、ディヴ
ィッドのみ最後にアグネスと結ばれることで勝利を得た姿が描かれているとい
えると思う。

《シンポジウムからB》
ディヴィッドの成長
滝裕子

 ディヴィッドの記憶力の良さは、実は彼の成長と密接な関係を持つと言った
ら唐突に思われるだろうか。ディヴィッドは、「私は観察する」という第二章
で次のように書いている。「我々の記憶というのは多くの人たちが考えるより
ずっと遠い昔に潮ることができる。それと同時に小さい子供たちの観察力はそ
の正確さと精密さにおいて驚くほどすばらしいものだ。もし私がこの物語を書
くに当って、細かい観察力を持った子供だとか、非常に強烈な子供時代の思い
出を持った大人だとか言われることがあるなら、私は疑いもなくこれら二つの
特徴を備えているからだと主張したい」このように、ディケンズは小説が始ま
ると間もなく読者に対して主人公の記憶力の良さと観察力と精密さとを印象づ
け、かつ正当化している。なぜこのようなことを書く必要があったのか。それ
はこれから登場する語り手が完全なる傍観者に徹しようとしているからだ。彼
は過去のでき事や人々を詳細に観察し描写してはいるが、その中に自分の感情
や感想を導入してはいない。もし感情が存在するとしたら、それは唯一、過去
を美しく懐しいものにしておきたいという気持だけである。ディヴィッドは自
分の人を見る眼のなさとか、忍耐心や自立心の欠除などに目を向けることさえ
しない。
 しかし、この小説があくまでも主人公の成長を主題としているならば、主入
公の過去を美しいものに保ちつつ、彼の成長を読者にいかに納得させられるか
が、この小説の生死を決定する大間題となる。そこでディケンズが考えた苦肉
の策は、主人公のあの精密な観察力と記憶力を存分に駆使して、彼の末熟さの
代行者を描き出すことである。先ず、母クレアラ、そしてドーラ、エミリー、
スティアフォース、ミセス・ストロング、ヒープなどの人物たちがそれである。
これらの代行者たちは多少なりとも主人公と共通の未熟な面を持っているので、
主人公の口から彼らの未熟さから引き起こされるでき事が語られると、読者は
まるで主人公自身が経験をしているような錯覚に陥ってしまう。これがディケ
ンズの巧妙なる手口である。主人公は経験せず、心に痛手も負わずに、立派な
大人へと成長を遂げるのである。ディヴィッドの成長が真に迫っているかどう
かは、ひとえに彼の描写力によると言っても過言ではないだろう。だからこそ、
作者は主人公の記憶力と観察力とをあれほど真剣に強調して@らなかったのだ。

《シンポジウムからC》
子供たちの夢と挫折
高井由利子

 David Copperfieldにおいては、大人たちよりも、子供や青年が、はるかに重要
な役割を担っている。この作品に登場する若者のなかで、David、Uriah Heep、
Steerforth、Emilyは、それぞれに、出生や家庭内の不幸を強く意識しており、そ
れらの認識をテコに、独特の行動を起こしているのが、観察できる。さらに細
かく見るならば、彼らは倫理の規範や、行動の指針となるべき肉親や教育者を、
見出し得ていない人々であるとも言える。従って彼らの行動は、社会的には、
旧価値体系から遊離してゆこうとする動きが顕著であり、それゆえに、自我と、
大人としての社会的な自覚が、内面で形成されてゆく過程において、いく度も、
危い場面に遭遇している。
 しかもこれらの子供たちは、生まれ育った環境の中だけでは、持って生まれ
た、優れた資質が、充分に発揮できないという矛盾に満ちた、境遇に見舞われ
ており、彼らの旧価値に束縛されるのを嫌う心境というものは、ひとつには、
やはり彼らの内的な、自然な欲求と理解されてよい内容を備えているように見
受けられる。
 しかしEmilyやHeepにあっては彼らのこうした欲求がこの時代にあって、必
然的に、階級離脱という形をとらざるを得なかったことが、彼らのつまづきの
直接の要因となっている。文筆業を自力で獲得してゆくDavidについてみれば、
例えば、PeggottyやHamなど、漁師とか、船大工といった旧来の職業を営むも
のが、当然受けねばならない教育や訓練を、必すしも前提とすることなく、英
国社会の旧い世代や、制度との対話や理解を、回避したまま、成功を手にして
いる。
 Davidが自らの成功についても、又、他の若者の敗北についても、ややもすれ
ば、冷ややかな感慨しか現わしていないのは、やはりキャリアーがまだ中ほど
にあって、真剣に、disillusionをまだ見ずにいるDickensの手による作品である
ことによるのだろう。

ディケンズの英国ところどころ
中西敏一

 朝ロンドンを出て夜ロンドンに帰ることにしている。出口のややこしいダー
リントンの駅を西に出て、十分ほど先のバス・ターミナルから、バーナド・カ
ースルまでは五十五分。結構賑やかなマーケット・タウンにあるキングズ・ヘ
ッドの、向かって左側、古い方の建物の壁に、一八三八年二月二日にディケン
ズが、『ニコラス・ニクルビー』と『マスター・ハンフリーズ・クロック』の
資料を集めているとき、このホテルに泊まったというプラックがつけられてい
る。ただし、反対側にあった時計屋のことをディケンズが知ったのは、そこに
来て初めてのはず。今は時計屋もないし、私の手許にキングズ・ヘッドの写真
もない。私のカメラは常にイギリスの水に合わないらしい。近くにマーケット・
クロス、クロムウェルが滞在したといわれる古くからのイン、ボウズ・ミュー
ジアム、バーナド・カースルの廃墟などがあり、鬱蒼と茂る木々の中をティー
ズ川が流れている。ハイキング姿の人が目につく。ボウズやグレタ・ブリッジ
ヘ行こうにも、バスもタクシーも見あたらない。帰りの二階建てバスから見る
ダラムのなだらかな丘陵は美しい。不安な行きとは、姿を変えてくれている。
ヨークシャーではないが、カフ巡査部長を思い、「夏の最後のバラ」を、口ず
さみたくもなってくる。
 チャーリング・クロス駅の改札の上にある、名前は何というのか、とにかく
出発時刻を示すものの機械が狂っていて、遅れるのはあたり前と思って狂った
通りにロチェスター方面行に乗ったところ、行先はヘイスティングズ。そのま
までもよかったが、まあ今日はと、トンブリッジで乗り換え、違う線の隣りの
パドック・ウッドで降りる。ジェイムズ・カーカーの死の舞台らしいことをあ
とで知る。ストルード行に乗るとまもなく右に、田舎を流れる緑の中の青いメ
ドウェイ川が並ぴ、思わぬ幸運を喜ぷ。メイドストーン・ウエストを出てしば
らくすると、メドウェイは広くなって再ぴ近寄ってくる。その向こう遠くの山
が一部削られていて白くなっている。クイックライムの産地なのでもあろうか、
線路と川の間にセメント工場のようなものがあつて、水がひどく濁り始める。
材木の工場があってまた濁る。やがて右に古城を置いた橋が見える。そのあた
りになると水が深く海が近く、濁りをまぎらわしてくれているのが、せめても
の救いであった。
 サドベリーという町は近くて遠い。朝食をすませ、ブリットレイルのパスを
百パーセント利用するため地下鉄を使わないでリヴァプール・ストリート駅に
着くと、そこから先の動きがどうにも取れない。空白の時問を埋めるためサウ
スエンドへと横道にそれたときは、時間の計算間違いをしたし、そのときだっ
たか、ウィタムのドロシー・セイアーズの家を訪ねてみようとも思ったがやめ
にした。コルチェスターの町にでもと思った日は、本線から横に一駅折れるの
にずいぶんと時間をかけた。結局その日の夕方サドベリーに着いた。閉まって
いた小さな駅舎はちょっとした博物館らしい。ゲインズボローの展示もあるだ
ろうか。セント・ピーターズの前の広場では、選挙運動ならぬ市が、その日開
かれていたようだ。教会の中では植木のバザーがまだ続いていた。穏やかなブ
ルーとバフの町であった。
 ローストフトから行きはタクシー、帰りはテクシーを覚悟。プランズトンの
バーキスさんのプラウ・インは、静かな村に静かなたたずまいを見せている。
隣りの家の表札はバーキス、近くにはバーキスメドウ。ポンド・レインという
小道に沿った生垣の、いちばん西の門の奥の家が、ブランズトンのレクトリー。
ブランダーストーンの村にある、ルッカリーのオリジナル候補の一つであるよ
うだ。ニレではなさそうだか、木々が生い茂り、いつの季節の鳥かは知らない
が、ミヤマガラスは姿を見せてくれない。確かにあれがレクトリーだろうかと、
心もとなげに眺めている左手少し先の方の、他の建物を寄せつけず、畠と木立
の中にどっしりと構え続けている教会に近づいて、ポーチのサンダイアルを目
の前にしなかったのは、まことに迂闊なことであつた。
 エクセターの郊外アルフィントンは、エクス川を越えた市の西南にある。デ
ィケンズか一八三九年三月五日に、両親のためにときめたコテッジの所在地は、
このアルフィントン。美しい家並が続くが、道がプリマスに通じていて車が多
い。一九七〇年版のハードウィックの本には、まだ残っていると記されている
が、マイル・エンド・コテッジは私には見つからなかった。帰りの列車が遅れ、
ブリストルを回ってくれとのことであった。それがプレストンと聞こえ、耳ま
でがなさけなくなった。
(昨年の口述発表については、勤務先の紀要に載せました関係上、要点の記載
を略させていただきました)

サイクスを追って
西條隆雄

 フェィギンの住処はサフロン・ヒルにあったが、オリヴァーがつかまったと
の知らせをうけるや、彼はただちにホワイトチャペルの隠れ家に居を移した。
 いづれもシティーの至近距離にあって、しかもシティー外に位置している。
これはピールの法案が議会を通過する以前シティーの治安が特にすぐれていた
ために、泥俸、強盗の類はシティーで荒嫁ぎをしては捕縛を逃れるため、シテ
ィーの外の、狭い、迷路だらけの貧民窟に逃げこんだゆえらしい。こういう巣
窟を列挙すると、東はペティコート・レイン近辺またはローズメリー通り、大
英銀行の北方のセント・ルーク教区(ホワイト・クロス通り、バンヒル・ロウ、
グラヴ通り、ゴールド・レイン)、ホウボーンのフィールド・レイン(盗品買
収で悪名が高く、この盗品は二、三百ヤード離れたシュー・レイン及びサフロ
ン・ヒルのいかがわしい店で売られる)、西はドルアリー・レイン及びコヴェ
ント・ガーデンの裏通りそれにセント・ジャイルズ(バックブリッジ通り、チ
ャーチ・レイン、ベインブリッジ通り)の安宿、地下室であって、テムズ河を
南に渡れば、これはエリザベス朝より悪名をとどろかしている、罪人のより集
まる地区である。
 つまり、泥棒の巣窟がシティーをぐるりととり囲んでいる。当然ながらこう
した巣窟の近くに警察署がおかれることになる。グレート・モールバラ通り(セ
ント・ジャイルズ)、ハットン・ガーデン(ホウボーン)、ワーシップ通り(フ
ィンズベリ・スクエア)、ランベス通り(ホワイトチャペル)、シャドウェル・
ハイストリート(シャドウェル)及ぴユニオン通り(サザック)である。一八
二九年都警は中央集権化された。そして「住人一人一人を見分けることができ
さる様」とのきつい指令もあり、多くは軍隊より募ったこともあって、都警の
活躍はめざましく、数年後には犯罪が激減し、また二〇〜三〇人の規模の集団
強盗は姿を消し、せいぜい二、三人の視模のものとなっている。
 さて、サイクス(『オリヴァー』二十一章)は五時に起き、ショアディッチ
からサン通り、クラウン通りを経(ワーシップ通りを避けている)、チズウェ
ル通り、バービカン、スミスフィールド(雑踏に身をかくしている)をぬけホ
ウボーンまで一直線に進む。ここでセント・アンドルー教会の時計が七時をさ
しているのをみて、彼は大またで一挙に三マイル余の道のりを急ぎ通過する。
何故こうも急ぐのであろう。多分所轄区の都警の目を恐れたのであろう。ある
いは夜動と昼勤の一交替する比較的警備のうすい時間帯にここを通過しておか
ねばならなかったからかも知れない。
 テムズ上流のアイズルワース、シェパートン、そしてサイクスの目的地であ
るチャーチーの冶安は「スキャンダラス」(ピール)といわれるが、強盗をす
るにはもはやこういう片田舎にまで行かねばならぬほど、ロンドンの冶安はよ
くなってきているのである。

ディケンズ関係の研究書、翻訳書とフェロ ーシップ会員の著訳書

桜庭信之・井上宗和著『《写真集》ロンドン イギリスの歴史と文学@』一九
八一年十二月 大修館
滝裕子著『ディケンズの人物たち―その精神構造の諸相』一九八二年一月 塊
書房
〔17頁につづく)

ディケンズの持つ現代的な意味
山本恒義

 一九八○年代にはいって、世界的な傾向であろうが、日本は軍拡路線を敷き
危険な方向に走ろうとしている。それでいて平和の維持、存続を政府は表面上
は強調する。また灰色高官がはびこり、それでいて政府は政冶家の道徳意識の
高揚を表面上は訴える。表では倫理を声高らかに叶ぴながら、裏ではだます、
ごまかす、はぐらかす、わなにかけるといったありとあらゆる策略を総動員し
ているのが今日の社会の姿である。
 見せかけだけの平和、口先だけの倫理に一般の人たちはごまかされやすい。
わたくしは『リトル・ドリット』を読みながら、この小説の中で描かれている
欺まんや見せかけの暗い世界が、以上に述べたような今の日本の社会と比べて、
本質的にはたいして違いはないと思わざるをえないのである。
 体面を飾ってまわりの人たちの目をまどわす人間はいつの世にも必ず存在す
る。人間はどれだけ時が経過しても、精神面での進歩はないものとみえる。『リ
トル・ドリット』に登場する財界の巨頭マードル、不動産管理人のキャズビー、
ドリット姉妹の訓育係であるジェネラル夫人、フランス人の悪党リゴーなどの
ような人物は、それぞれ自分の悪や欠点を隠す見せかけを巧みにおこなってい
る。たとえばキャズビーを考えてみると、彼は家賃のきびしい取り立ては使用
人のパンクスに一切を任せておきさ、自らは慈悲に満ちた人間を表面上は装っ
ている。世の中には実に見せかけが多いものである。
 バーナクル家が勢力を振るっているCircumlocution Officeの政治の世界はクレ
ナム夫人の言う"hollow vanities"の世界で、普通の人たちには理解できないような
世界である。一般大衆に希望を抱かせる社会から程遠い所にあるこのような政
冶社会は、驚くほどに現代の日本社会に似ている。虚飾に満ちた現代社会に生
きるわれわれにとって、ディケンズはいかなる意味を持っているのであろうか。
彼の作品を読みながら、このような問題を一度考えてみる必要があると思った。

エステラ像
宇佐見太市

 『大いなる遺産』のエステラを「宿命の女」像として捉え、その存在のユニ
ークさに注目する向きもあるようだが、果たして本当にそうだろうか。私の答
えは否である。
 人物造型においてエステラ創造はディケンズの失敗であったと思う。自我を
持つ面白そうな女性を描こうと試みる作家がしばしば落ち込む迷路がディケン
ズを待ち受けていたようだ。例えば激石も、『虞美人草』の藤尾や『草枕』の
那美といった自我を持つ個性的な女性を書こうとしたが、その不自然さに気づ
き、それは失敗であったと告白している。
 これまでのディケンズの一連のヒロイン像から眺めて、人人は一風変わった
エステラ像に心ひかれがちであるが、彼女の言動の現実感の稀薄さは、作家の
意図ではなく、作家が書き切れなかったことに拠るものだと思う。自我を持つ
女の創造の難しさが窺い知れる。
 これは作家の持味に拠るものであり、人間の情を大切にした作家にとって、
それは致し方ないことだろう。それらは理知派のヘンリー・ジェイムズなどに
任せておこう。
 ピッブのエステラに対する恋が「初恋」であることも忘れてはならないこと
だ。少年の初恋は、ツルゲーネフの『初恋』やネルヴァルの『シルヴィ』に見
られるように、それ自体が小説のテーマになるほどで、少年の幻想の中で理想
の女性像が作られていく。初恋の対象となる女性には初めから人間的要素は一
切不要である。非日常的な夢想なのだ。
 このことが、現実的女性ビディーが恋の対象にならないことや、最後に生活
者になり果てたエステラとの結末考を解く鍵となるだろう。
 エステラは、彼女を取り巻く回りの状況によって、一見「宿命の女」の様相
を帯びてはいるが、実際はそんな女性像とはほど遠い存在である。このような
観点から新たな作品解釈が生まれるのではないだろうかと確信する。

ディケンズ読書会
安富良之

 ディケンズ読書会は、昭和四十九年の夏から、すでに八年間も続けられてい
る。はじめからのメンバーは、宮崎孝一、小池滋、桜庭信之、間二郎、中西敏
一の諸氏である。このように豪華な顔ぷれによる読書会について、その高度な
学問的水準に憧れる前に、まず怖じ気づいた人がいたとしても当然であろう。
だから、以後に参加された方々は、相当の覚悟をもって決断されたはずである。
現在は他に、横川信義、亀井規子、北條文緒、青木健、安富良之の諸氏が続け
られているが、その他、勤務や身辺の事情で一時休んでおられる方も多い。
 はじめは『ポズのスケッチ集』から取りかかった。とにかく最初の作品から
始め、以後は創作順に読みすすめて、最後の作品まで辿りつく決意だと伺って
いる。だから現在は、次の『ピックウィック・ペーパーズ』に移っている。毎
月一回ずつ、土曜日の午後に成城大学の一部屋をお借りし、一回におよそ三時
間くらいずつ、担当者をきめて読みすすめることになっている。それこそ舐め
るように読んでいくから、担当した者はたまらない。一度当たれば五キロは減
るという人もいるが、その前からの気苦労を考えれば、それだけではすまない
であろう。
 読書会が終われば、次には場所を移して別の勉強会が始まる。若干のお酒が
加わるだけで、ディケンズ以外のことも教えてもらえるのが我々の楽しみであ
る。この魅力もあって我我は、とても休むことができない。
 学部でも大学院でも、こうした読書会はあった。名称はどうであれ、一人の
先生を中心にして、一つの作品を時問をかけて精読する方法は、多くの大学で
行われているやり方であろう。しかしながら、学生時代を終えてからの読書会
が、以前のものとは如何に違い、如何に教えられるところが大きいかを痛感し、
今の我々には、欠かせないものになっている。今後とも、この会が永く永く続
くことを祈っている。

 本年四月十二日に大阪教育大学教授の河原重清氏が、また七月四日にはフェ
ローシップ理事で元日本英文学会会長の青木雄造氏が、御他界なさいました。
謹んで御冥福をお祈り申し上げます。

(14頁よりつづく)
藤本隆康・篠田昭夫・志鷹道明訳『憑かれた男』一九八二年三月 あぱろん社
吉田孝夫著『ディケンズの笑い』一九八二年三月 晃学出版
鈴木幸夫著『現代英米文学の意匠』一九八二年六月 東京堂
鈴木幸夫編『フェニックスを求めて―英米小説のゆくえ』一九八二年六月 南
雲堂
鈴木幸夫編『ジョイスからジョイスヘ』一九八二年七月 東京堂

編集後記
 今年の『ディケンジァン』春期号に、ジョン・ディケンズ一家が一八一五年
頃から二年ほど住んだらしい、また一家が一八三〇年あたりにも借りた、今の
クリーヴランド・ストリートの貸し部屋のことがでている。編者も見た汚ない
建物であるが、西欧の建築物は堅牢である。わがフェローシップも会報も、そ
の堅牢さを持ちつづけていかなくてはならない。この号の編集に当たっては、
印刷関係の仕事を進めてくださった村石利夫氏と、ほかに青木健氏、安富良之
氏に多大の御協力を得た。この後記を借りて、お礼を申し上げることにしたい。
(中西)

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