ディケンズ・フェロウシップ会報 第七号(1984年)

The Bulletin Japan Branch of Dickens Fellowship No. VII

発行:ディケンズ・フェロウシップ日本支 部

ディケンズ・フェローシップ日本支部
1983年10月―84年9月

1983年11月26日(土)
総会 於大谷女子大学
挨拶 宮崎孝一氏
講演 司会 松村昌家氏
講師 フィリップ・コリンズ氏
「Fact and Fiction」

1984年6月2日(土)
春期大会 於神戸女学院大学デフォレスト館会議室
研究発表 司会 西條隆雄氏
1.「Dombey and Sonにおける女性と愛」 溝口薫氏
2.「Oliver Twistにおける悪魔的なものについて」 要田圭治氏
シンポジウム
The Old Curiosity Shopをめぐって
司会 松村昌家氏
講師 光長裕美氏/臼田昭氏/間二郎氏

フィリップ・コリンズ
ディケンズにおける事実と想像力
西條隆雄記

 ディケンズ・フェローシップの会長として日本支部を訪れ、講演できること
を非常にうれしく思っている。八〇年前ディケンズ・フェローシップが設立さ
れた時、四つの目的が掲けられた。ディケンズの作品をよりよく理解し、関係
建築物を保存するという、文学的なニつの目的に加え、貧しい人々、虐げられ
た人々に助けの手を延べ、また広く友愛の絆を広げてゆこうとの、文学とは直
接関わりをもたない目的が二つあった。『われらが友ディケンズ』(南雲堂)
の出版を記念して、ここに日英友愛の絆を結ぶことができたことは、とりわけ
慶賀にたえない。
 さて、ディケンズの偉大さの二大特徴について私なりに述べてみたい。例え
ばオリヴァーが粥を求める場面にみられるように、作家は人間の極限状態を作
品化し、わずか三才の子供ですらそのシチュエーションが理解できるほどに、
神話世界を作ってゆく。多分にチェスタトンのいう「神話作者の最後にして最
大の人」という表現が的を得ているであろう。
 しかし、「ディケンジアン」なる語には、(一)作家の生きた時代を要約す
る意味と、(二)奇人、類まれなる人物、の意味がある。ハンフリー・ハウス
はこのニつの意味を融合し、作家の作品世界と一九世紀中葉の現実世界を関係
づけて、「ディケンズはヴィクトリア朝世界を素材として、生活も活力も言葉
使いも全く異なる、完壁な別世界を作り出した」と結論する。ディケンズ世界
は、神話、伝説、おとぎ話の要素をふんだんにもつ、高度に想像的な世界であ
ると共に、深く社会の事実に根ざした世界でもある。それは、『オリヴァー』
を読んだ評論家が「作家は、まるで御者なみの正確さでロンドンの旅を記録し
ている」と嘆じるほどである。
 この、想像世界と事実の世界を同時に表現する言葉が、ディケンズの根本課
題をとく鍵を握っていると思われる。一八五八年、ウォルター・バジョットは
「ディケンズの描くロンドンに優るものはない」と述べ、作家の言葉による絵
画芸術を洞察すると共に、「後世のためのロンドン特派員」(『世界批評大系
・』)たるジャーナリストとしてのディケンズをとらえた。
 その同じ年、ディケンズは「想像を加味した、鉱山地帯の写真を心にとった。
撮る間、自分の心を特製の、高感度の乾板だとみなさずにはいられなかった」
(ウィルズ宛書簡、九月二四日)と書いている。「想像を加味した写真」とい
う言葉は、ドキュメント重視と高度に想像的なものを融合した、ディケンズ文
学の根幹にふれる言葉である。別のところでは、「私は、故意に、日常目にす
る事物の空想面に意を砕いた」(『荒涼館』序)とも述べている。「空想」と
「現実」の交錯する世界である。
 更に、『辛い世』を弁護して、彼は「蒸気機関車の居並ぶところに、マブ女
王の馬車の入る余地を多少」(ヘンリー・コウル宛書簡、五四年六月一七日)
なりさがし求めたと述べる。つまり、空前の産業社会の中で、想像生活を失っ
てしまいたくないという意味である。随筆「飛行」(『再録』)の中では、ロ
ンドン・パリ間をわづか一一時間で旅し終えて、「眠りにつきながら、こんな
散文の時世にアラビアンナイトの世界を現出させてくれたので、南西鉄道会社
に祝福をたれた」と書いている。
 以上にみるごとく、ディケンズ世界はたえず事実と想像の融合である。その
どちらに偏しても、全貌を伝えることはできない。私自身、『ディケンズと犯
罪』及ぴ『ディケンズと教育』の中では、彼の作品の底にある一九世紀英国社
会の事実の発堀に重きをおいているが、ハリー・ストーンは『ディケンズと目
に見えぬ世界』を著し、神話、伝説、おとぎ話に重点をおいている。しかし、
いづれも作家の全貌をとらえているとはいえない。リアリストとか、神話作者
といった単一な範疇でディケンズをとらえてはいけない。彼は同時にその両者
なのだから。
 「想像を加味した写真」という側面は、ディケンズの作品に常にあらわれる。
「マリゴールド医師」(『クリスマス物語集』)を書き終えて彼はこう述べて
いる。チープ・ジャックは「すばらしく本物そっくりだ。もちろん多少は想像
をまじえ、かつ下品にならぬよう配慮してはいるが」(フォースター宛書簡、
六五年一〇月)。「もちろん」と書いていることに注意したい。彼は誇張、想
像を加え、下卑なるものは除去し、読者の脳裏に鮮明に刻印するのである。チ
ャドバンド牧師(『荒涼舘』)、ダルバラ機械工養成所(『無商旅人』)を描
いても同様、彼は殊更その不幸な、否定的な姿をそのまま、社会にあるがまま
の姿で歴史に固定しているのである。ディケンズは一九世紀中葉の生々しい形
成期の英国風景を描きながら、人間性と社会行動は、その時代と場所から隔た
るところにおいたのだ。
 一八五〇年代に英国を訪れたアメリカ人、モンキュア・コンウェイ(一八三
二―一九〇七)はディケンズを熱読し、彼を「ロンドンのダンテ」と賛じた。
ある人は彼を「大都市の小説家にして詩人」と喝破し、別な人は「大都市の画
家にして大都市の叙事詩人」と断言する。「想像を加味した写真」など、これ
までに挙げた様々な表現をよく吟味すれば、ディケンズの作品の中で事実と想
像がいかに複雑に融合しているか、その真の姿を理解することができると思う
のである。

『無商旅人』関連の地図
植木研介

 一九八二年暮れに広島大学英国小説研究会で『無商旅人』の翻訳を上梓した
析、こうしたものには珍しいであろうが、研究者・好事家の役に立てようと人
名と地名の英語索引を巻末に付けた。人名索引作製には津村氏が、地名索引に
は西條氏と私が当ったので、所収の地図と地名索引にまつわるこぼれ話を、こ
の方面に興味あるかたに資すればと記しておく。
 第九章「ロンドン旧市内の教会」と第二十三章「人気のない町」には、教会
名を揚げないで実在する幾つかの教会が描写されるが、その教会名を知らない
まま読むと、何か暖昧な空間をあてもなく散策する覚束無さを覚える。さいわ
いGwen Major氏が『ディケンジァン』(四十四、六十四号)でどれがどの教会
か突き止めており、そこで教会名を知り地図の上で追いながら読むと、まった
く異った印象を作品が与えてくれるのに今度は驚くことになる。(余談ながら、
ディケンズとマライア・ビードネルが雨宿りした教会の面しているHuggin-lane
をHaywardはDickens EncyclopaediaでWood St.とGutter Laneの間を結ぶ小路と
誤って判断している)作品理解のためこうした教会の位置を印す程度の地図が
出来たらとのささやかな願いで出発したのだが、途中から熱の入った展開にな
った。それは一八六二年のロンドンの詳しい地図が二種類手許に到着したから
である。道路や鉄道などが現在と違っているのは予期した通りだが、これを見
るとガス燈の時代を反映して多くのガスタンクが記入され、何より興奮を覚え
たことには、幾つもの救貧院がはっきりと印されているのだった。まさにディ
ケンズのロンドン地図で、作品に出てくる地名を求めてルーペ片手に地図を読
む日が続いた。
 『無商旅人』の地図の所に「地図作成にあたっては、Greater London Council
所有の一八六二年版地図及びStanford's Library Map of London and Its Suburbs
(1862)を参考にした」と書いたが、前者は八インチが一マイル、後者は六イ
ンチが一マイルの縮尺となっている。今手許にある一九七五年版のニコルソン
ズ・ストリート・ファインダーのロンドン拡大中心部の縮尺が一マイル四イン
チだからその大きさと細かさは分かっていただけると思う。後者のStanford's 
Library Mapは、一九八〇年にリプリントされたもので現在も手に入るが、この
リプリント版の解説に出てくるWeekly Dispatch Mapと呼ばれるものが、実は前
者であったと気付いたのは『無商旅人』出版後のことであった。これは日曜新
聞Weekly Dispatchの定期購読者に、一八六一年一月から、地図を部分に分けて
無料配布したもので、いうなれば拡販競争のおまけ。「ザ・タイムズ」紙上で
宣伝した時には一マイルが十インチの縮尺の予定が、一マイルが八インチに縮
んだものらしい。これをA3の大きさの用紙で三十六枚に分けてコピーしたもの
を入手したのだが、どこにも地図のタイトルが無く不審を抱いて捜しているう
ちに、Dispatch Londonの小さな文字を地図の隅の飾りマークの中に見つけ、そ
れがリプリント版の解説中の地図と結びつくのに時間がかかって出版に間にあ
わなかったしだい。
 地名等に関する情報の宝庫は『ディケンジァン』だが、通りと番地が判って
も位置の特定の難しい所、例えぱ海軍少尉候補生の木像のあった場所は、津村
氏所有のPeter Jackson: Tallis London Street Views 1838-1846によって、レドンホー
ル通り北側西詰より東へ二軒目と確定できた。
 こうして作品中の地名のはとんどについて地図上に示し得たのだが、二十二
章に出てくる賛美歌を出版したフローレンス街三十番地の書籍給配所だけが唯
一つ不明のまま残ってしまった。どなたかご存知のかたがおられたらご教示を
お願いしたい。

ディケンズとオランダの一画家
山崎勉

 現在、ディケンズの作品と十七世紀オランダの画家Adriaen van Ostadeの絵と
の関係というものが、私の関心事のひとつになっています。事の始まりは、昨
年の秋季号のThe Dickensian誌に掲載されたLeonee Ormond女史の論文中で、十
七世紀にオランダで活躍したThe Dutch Schoolのことが扱われているのを目にし
たことです。ロンドンのフェローシップ本部で、名誉書記であるAlan Watts氏と
その論文について話をしていたところ、ディケンズが、その一派の一人である
Ostadeに、少くとも二度、彼の作品の中で言及している、と氏が教示してくれた
のです。早速、私はある期待と予感を胸に、Ormond女史の論文に出てくるThe 
Dulwich Picture Galleryに赴きました。この美術舘は、The Pickwick Papersの末尾
で、隠遁したPickwick氏が通った所でもあります。私の予感が的中して、その
美術館にOstadeの絵が四点展示されているのを発見しました。Ostade兄弟の兄
であるAdrianの作品です。その四点が、一八一四年のその美術館の開館の時か
らそこに在ったことも、購入したハンドリストのProvenanceで確認出来ました。
 その後、ロンドン大学の中央図書舘、Courtauld Institute National Gallery等での
調査、Pictures from Italyと、David Copperfield内のその画家への言及箇所の再読、
ディケンズの書簡、そして、蔵書リストのチェックの結果、次のことが判明し
ました。・昨年の十二月の時点で、National Galleryに展示してあったAdrianの唯
一の作品、"An Alchemist"の構図、及び、細部が、Pictures from Italyの一節(その
画家への言及のある)で描写されている場面と酷似していること。・その絵が
一八二九年からSir Robert Peelのコレクションにはいっており、一八七一年に
National Galleryに売り渡されたこと。・しかも、一八四七年の四月には、ディケ
ンズが、Peelに招待されて、その絵を直接見ていること。(Pilgrim Editionの第
五巻の五十九ぺージの註、そして、そこで言及されているArt-Unionという美術
雑誌の一八四七年の五月号の記事で確認出来ました。前者では指摘されていま
せんが、後者では、当の絵のことが言及され、しかも"the inimitable 'Alchemist'"
と呼ぱれています。"inimitable"という言葉に、ディケンズは少なからず関心を持
ったと思われます。)・但し、Pictures from Italyの中の問題の一節が書かれたと
推定される最も早い時期、つまり、ディケンズがAvignonを訪れた一八四四年の
七月以前に、彼がその絵を見たかどうか確認出来ないこと。
 最後の点に関しては、ロンドンのThe Dickens House Museumの舘長David 
Parker氏から、版画でディケンズがその絵に接していたかもしれない、という示
唆をいただきました。現在、その方面に目を向けています。Adriaen van Ostade
の絵画は、"An Alchemist"に限らず、いかにもディケンズ好みの色調、構図を備
えており、彼は自分の個性と合致する何ものかを、その画家の作品に見出した
ものと私は考えています。因に、Ormond女史から、私の推論が、"quite right"で
あるとのお手紙をいただいております。
〔ディケンズがOstadeに言及しているのは、Oxford Illustrated DickensのAmerican 
Notes and Pictures from Italy, P. 279とDaivd Copperfield, P. 810です。〕

『ハード・タイムズ』の「登場人物一覧表」
寺内孝

 ディケンズ著作のリプリント版は今日、種々出まわっている。現在、入手可
能なこれら諸版には多くの場合、小説の冒頭前に登場人物紹介のための一ぺー
ジが割かれている。このリストは、いずれの版のものを見ても、大低は同一の
記述内容になっているはずである。『ハード・タイムズ』について言えぱ、筆
者の手元にある諸版の内、六種(Oxford Illustrated Dickens; Pan; Signet; Harper; 
Bantam; Everyman)は、微細な差異を除けば、全く同一記述になっている。
 これに関し、ある論文で,"the 1868 edition is the first to have the list of characters"
と言及されていたので、筆者はそれが、ディケンズ自身が直接関与したもの、
と思い込んでいた。と言うのは、チャールズ・ディケンズ版(以下、C・D版と
略)は一八六八年の刊行であるから、もしこのリストがその指摘通り、ここで
追加されたものであるとすれば、それがディケンズの自署入りであるだけに、
多作作家ディケンズは、自ら創造した人物の紹介を、初版より十四年後の全集
版で誤って付記したもの、と解釈されないことはないからである。
 そうした理解に立っていたので、過去に、拙論でそのリスト中の誤記(トム
を"his youngest son"と紹介している)に触れた時、それをディケンズ自身による
誤り、として扱ったことがある。しかしその後、C・D 版をマイクロフィルムで
入手し、それを見るに及んで一驚した。リストが写っていなかったのである。
これは、もしかすると、同じC・D版でも、両者は版を異にしているのかも知れ
ない、と推量したことがある(同じC・D版でも、欄外見出しが頁付けの関係で
異なっているものもあるらしい。これに関しては、Oxford版、Signet版等の欄外
見出しや、Norton版(p. 241f.)を比較、参照するとよい)。
 ところがその後、問題のリストはC・D版が嚆矢でないらしい、ということが
分かってきた。そこで、このリスト源を求めることにし、Who's Whoものやら、
幾つかの古い版に当たり、ルーツ探索を始めたのであるが、遠い国の、古い話
の、細やかなこととあって、調査は思うに任せず、隔靴掻痒のまま、二年近く
過ぎてしまった。それで、一計を案じ、思い切って、そのリストを載せている
オックスフォードに尋ねてみることにした。暫くして、御回答を賜わり、この
リストの出所源は、Oxford India paper Dickens. 17vols. 1901-02.である、と御教示
頂いた。
 これで有り難くも、この間題は解決したのであるが、それにしても、一度そ
の版を手にしてみたいものである。因に、先のトマスの紹介については、筆者
の知る限り、一版のみ正確な記述を所載している。それは、独自のリストを掲
げているハイネマン版で、そこには"his eldest son"と記されている。

女性読者とディケンズ
宇佐見太市

 思いもかけないところで思いもかけない人がディケンズに言及している―デ
ィケンズ愛好家にとってこれほど嬉しいことはない。例えば、五年前の大岡昇
平の『最初の目撃者』の中にディケンズの短篇『手袋』が使われていることを
知った時、大岡文学のファンであるだけに、その喜ぴもひときわ大きかった。
 これが英米のものになると、フィクションであれ、ノンフィクションであれ、
そこにディケンズが頻繁に登場するのは当然であろう。特に、女性がディケン
ズ文学に親しく接している様子が多く描かれているように思われてならない。
個人的読書体験から思いつくままにいくつか拾い上げてみよう。
 先ず、微笑ましいものとして、オールコットの『若草物語』。日頃からディ
ケンズの愛読者である四人姉妹は、名作『ピックウィック・クラブ』を手本に
して、Pクラブなるものを組織し、毎土曜日の晩に屋根裏部屋で例会を開く。文
学作品を一番よく読んでいるジョーが主幹となってピックウィック新聞という
週刊新聞をも発行する。
 次に、モンゴメリの『アンの愛情』。春の試験も終わって解放感に浸ってい
るアンは、『ピックウィック・ペーパーズ』を読み耽る。
 さらに、ミッチェルの『風と共に去りぬ』。スカーレットとは対照的な性格
のメラニーはアシュレに向かって、「わたし、サッカレーの作品については、
あなたのお説に同意できませんわ。あの人は皮肉屋です。きっとディケンズの
ような紳士ではないと思いますの」(大久保・竹内訳)と言う。二人の会話を
漏れ聞いていたスカーレットは、男に向って何とつまらぬことを言うのだろう、
と苦々しく思う。真面目で教養豊かな女性メラニーと、現実的で行動的な女性
スカーレットとのタイプの違いを見せつけられる箇所である。
 ヘレン・ケラーは『わたしの生涯』の中で、ヘレンの教育に際して母親が抱
いていた唯一の希望の光は、ディケンズの『アメリカ雑記』からきていた、と
述べている。
 ロザモンド・レーマンの『ワルツヘの招待』のオリヴィアという少女は、一
喜一憂しながら『デイヴィッド・コパーフィールド』を読んでいる。その感情
移入の激しさに共感を覚えずにはいられない。
 彼女たちは、一体、ディケンズのどこに惹かれているのだろうか。センチメ
ンタルな面、モラリストとしての面などに心引きつけられているようであるか、
現代読者にありがちな変に屈析したところが全く無く、その素直さに好感が持
ててならない。

シンポジウム
The Old Curiosity Shopをめぐって
松村昌家

 ジョージ・フォードのDickens and His Readersを一見しても分かるように、『骨
董店』ほど褒貶の変動を激しく経験した作品はない。その原因の第一は、何と
いってもリトル・ネルの存在であろう。この清純無垢な天使さながらの少女の
苦悩の遍歴と、その末の死の憐れが当初から人気の的になりすぎた。つまり『骨
董店』は即リトル・ネルの物語として受けとられすぎた。そのために、オスカ
ー・ワイルドやオールダス・ハイスリーなどから、その感傷性に対する反動の
引き金がいったん引かれ始めると、全体としての作品そのものが非難の標的に
なってきたかの感がある。
 一方J・B・プリーストリーはThe English Comic Charactersにおいて、ディック・
スウィヴェラーを、イギリス文学における喜劇的人物列伝の仲間に加えている
のは周知のとおりだし、最近においてはクィルプに対する関心の高まりも顕し
い。そしてジエイムズ・R・キンケイドのDickens and the Rhetoric of Laughterや、
バリ・クォルズのThe Secular Pilgrims of Victorian Fictionなどは、『骨董店』のも
つ笑いの要素やアレゴリーの面白さを説いて、全体としての作品評価に向かっ
ての新たな示唆を打ち出した。
 そこでわれわれは、日本における読者として虚心坦懐に、もう一度この作品
を読み直してみよう、という極めて純真素朴な動機から今回のシンポジウムは
発案された。
 もちろん問題のネルの醸し出すセンチメンタリズムについての擁護も試みら
れよう。ディック・スウィヴェラー、クィルプについては言うに及ばず、トレ
ント老人、キットについての新たな見解が提示されるならば、それは当然作品
の再評価にもつながっていくであろう。『骨重店』のロンドン、クィルブのロ
ンドンとその生活ぶり、ネルの遍歴の過程、そして作品の構成そのものについ
ての、斬新な面白い発見が出てくるかも知れない。ということで、光永裕美、
臼田昭、間二郎の三氏にご登場を願い、以下に要約されているようなご発表を
していただいた。懇親会の席上で、今回の会合は「最も内容の充実した」出来
ぱえであった、という山本忠雄先生からのご講評があった。三氏のご発表の内
容はもとより、大勢の参加者の活発な質疑のたまものである。

Illusion・Disillusion
光永裕美

 この物語は幻想を抱くこと、それを毀すこと・毀されることという概念を巡
って展開する。ネルの流浪の旅は、生と死に対する幻想、神の知ろしめす田園
という幻想、そして保護者としての祖父という幻想が次々に毀され、最後に天
国という大いなる幻想に辿り着く旅といえる。博打に魅入られた祖父は幻想を
追い、キットは周りの人々の「正直者であれ」という幻想を全うしようとし、
クウィルプはそのキットに対する人々の幻想を打ち砕こうとする。スウィヴェ
ラーはブラース家の女中を幻想に請じ入れることでカを与える。
 "illusion・disillusion"という概念はディケンズの語り口にも窺える。キットとバ
ーバラ一家の芝居見物のすぐ後に、芝居の後の、休暇の後のほろ苦い思いや疲
労感を付け加えて、晴れやかにも楽しい場面に心踊らせた読者の喜びをそそく
さと摘みとってしまったり、ネルと祖父が見つかった事を知らせるために母の
所へと走っていたキットが骨董店の前でぴたりと足を止めた時、「習慣からで
もあり息が切れた為でもあった」と説明してキットの実直ぶりに読者を感激さ
せたりそれを茶化したりする。又物語の終わりに、店の位置さえ朧になったキ
ットの姿を描いて忠義者キットというディケンズ自身が読者に与えた幻想を打
ち消し、続けて「僅か数年の歳月のもたらす変化とはこういうもの。斯くの如
くあらゆるものが消えてゆく、語られた話のように」という文で物語を結んで、
今語った物語を、与えた幻想を全て消し去ってしまう。
 このようにディケンズはひとつのセンテンス、エピソード、プロット、物語
全体とあらゆる箇所で幻想を与えておいては毀し又与えるという操作を繰り返
す。そういうことであれば読者はそのディケンズの操作のリズムに乗りそのリ
ズムを楽しむことがディケンズを読むもうひとつの楽しみとなるのではないだ
ろうか。
 クレイバラーやカイザーはグロテスクを、正統とされている基準に合わぬも
の、正統に対し異を唱える行為と定義しているが、クウィルプはその醜悪な容
貌体躯がグロテスクであるだけでなく、人々がキットに抱く正統たる幻想を毀
すという彼の行為そのものもグロテスクといえる。"illusion・disillusion"という概
念はグロテスクとも関わってくるようである。

『骨董店』の特性
臼田昭

 ディケンズのたいていの作品では、金が実体として存在し、その金が法律や
金融制度などの近代的社会組織を通じてカを発揮し、人間性を歪曲し、善良な
人びとを苦しめる。ところが『骨董店』に限っては、そのような悪の力の根源
としての金は、実体として存在しない。その意味において、この小説は近代以
前の世界を題材としたもの、つまり「牧歌的」という評価に値すると思う。
 クィルプは一時ネルを自分の妾にと思ったことはあっても、ネルの祖父に貸
した金をテコに事を強行しようとはしない。この点クィルプは『ニコラス・ニ
クルビー』のグライド老人とは違うのだ。そして以後のクィルプは、ただただ
キットが僧いという情念の満足のために、利害を忘れ、悪のための悪の哲学を
実践する芸術家気質の人間になってしまう。
 ディック・スウィヴェラーにしても、同じ弁護士事務所の書記でありながら、
ニューマン・ノッグズやウェミックなどに比べると、職場の悪に染まず漂うそ
の姿は、白鳥さながらに清純である。それにまたサンプソン・ブラスのように
間の抜けた、天衣無縫の男に弁護士が勤まるのは、生き馬の目を抜くような近
代社会であるはずがない。
 自然の恵みと世間の施しだけをあてにして放浪の旅に出るネルは、アシジの
聖フランシスコの一の弟子といってよく、彼女が道中で出合う旅芸人たちは、
いずれも中世に生きていておかしくない。
 このように一九世紀をはるかに遊離した牧歌的雰囲気の中で話を進めておき
ながら、ディケンズはわざとそれをかき乱すかのように、ネルとその祖父をし
て、旅の途中、バーミンガム周辺の工業地帯とそこの労働者の悲惨な生活をつ
ぷさに見聞きさせている。避けようと思えば避けられたはずのこの不協和音を
あえて奏でた、その意味、効果をいかに評価するか、それは読者個々の問題な
がら、ディケンズにとっての近代社会の@惑的な魅力はかくも強かった、とい
うことだけはたしかにいえるだろう。

ネルの裏側
間二郎

 可憐な少女ネルの献身と死の物語も、その裏側には、そういう状況を必然た
らしめるようなおぞましい風景が貼りついている。というのは、通例彼女の天
上性と対置される怪物クウィルプのことではなくて、彼女をこよなく「愛して
いる」祖父のトレント老のことなのだが。なぜなら、彼女がこの祖父の手をひ
いてあてどもない旅に出るのも、放浪その(1)(15―19章)でパンチ一座のシ
ョートとコドリンから逃げ出すのも、放浪その(2)(24―32章)で、ミセス・
ジャーリーの庇護で安定しかけた生活を棄てざるをえなくなるのも、放浪その
(3)(42―46章)で、ネルが身心疲@して恢復不能な状態に陥ってしまうのも、
多少の事情の相違はあれ、いずれも「愛情」ゆたかな祖父のためなのだから(特
に15章、42章参照)「保護を奪われた哀れな存在」という主題は、この作品の
前後から、「保護すべき存在の、保護さるべき存在への逆依存―ないし犠牲の
強要」というよりポジティヴな形態へと展開して行く。その形態の心理的基盤
としての、自己正当化のための自己@着、願望的思考、ともいうぺきものに光
があてられて行く(一例として「オクスフォード版5―6頁、117頁の老人のせ
りふの対比)。それはトレント老のみならず、最後に落ち着いた静かな田舎で、
ネルがしきりにいぶかしむところの、老墓堀り(セクストン)のささやかな自
己@着(54章)についても言えることである。
 これは、前作に登場するニクルビー夫人やウォルター・ブレイ(娘を『売る』
に等しい自分の行為に関して明らかに自分を欺いている)の場合に遡りうるも
のであり、『荒涼館』のターヴィドロップ氏を経て後々のウィリアム・ドリッ
トの姿に精妙な結晶をとげる一連の系列の中に位置づけることができよう。
 つまり、『骨董店』のネルの物語の裏側には、「人間(性)の観察者」ディ
ケンズの主要観察項目のひとつ―人間の自己@着能力とその影響―が、玉虫織
りの精妙さを思わせつつ、なお歴然と見てとられる、という主張である。
 なお、ネルとその祖父が直接的に登場する章は全体の半分以下であり、その
余において、御存知クウィルプとそのお仲間、我らが(?)親友ディック・ス
ウィヴェラー氏と公爵夫人(マーショネス)その他が、それぞれ面目躍如とし
て全篇の輿味を支えていることは言うまでもない。
(ジョーゼフ・ゴールドの「チャールズ・ディケンズ―ラディカル・モラリス
ト」(一九七二)が筆者にかなり共感を覚えさせた本であったことを付記しま
す)

『オリヴァー・トゥイスト』における悪魔的なもの
要田圭治

 『オリヴァー・トゥイスト』は、作品の構図からすれば、フロイトのいうウ
ィッシュフルフィルメント・ファンタジーの系列に入れて考えることができよ
う。実際、物語はハリー・メイリーの牧師館を中心とした天国のマイクロコス
ともみなすベき閉鎖社会にオリヴァーを住まわせることで結末をつげる。が、
作者の物語としてみた場合、このことは逆に、現実の杜会が、彼にとって一体
化することのできないものであったことの証左になっている。作中ではオリヴ
ァーをはじめとして、一貫して疎外された者達の心理がのぞき込まれ、彼らの
見る幻影が描かれている。時折もらされる深い眠りへのあこがれは、ディケン
ズ自身の混沌たる精神状況の暗示であり、それを沈静化したいという願望のあ
らわれであろう。
 作品解明の手懸りは、オリヴァーが拉致された犯罪者の世界の異様な迫真性
にあるといえる。ディケンズはこの作品の第三版に付した序文の中で、彼の描
いた犯罪者の世界が「リアル」であること、彼らのみじめさを「ありのまま」
に描くことが社会に対して大いに寄与するものであることを訴えている。しか
し、作品の中に現出しているものは、狭義のリアリズムでは説明しきれないも
のであって、例えば、同じ序文で名が挙げられているW・ホガースの作風と比
較して論ずベきものであろう。ホガースの版画は、教訓を伝える道具としても
くろまれていながら、見る者の心を捕えるのは、そこに展開するグロテスクな
世界である。『オリヴァー・トゥイスト』でも、迫真的なものは、幻想性、グ
ロテスクを含めて殆んどディケンズの強い主我意識によって夢幻的に歪められ
たものであるといってよい。
 半醒半睡の意識がとらえたヴィジョンのリアリティも以上の点から説明でき
るであろう。第34章で、オリヴァーはメィリィ家の一室でまどろむうち、窓の
外にフェイギンとモンクスの姿を目撃する。これは幻影に近いものであり、意
識の内奥に密む、過去という悪魔的なものがインパクトとなって彼の眼前に投
影されたものと理解しうる。オリヴァーは現在からも疎外されている。ここで、
ディケンズは彼個人のヴィジョンの存在をあかすと同時に、意識の背後の悪魔
的なものに了解可能な形を与えようとしているのであって、犯罪者の崩壊過程
だけがその等価物として有効であるかのようである。これは、夢の中で、名状
しがたいものが了解しうる形をとって出現するのに似ているが、作品形成の秘
密もこのあたりに潜んでいそうである。

Dombey and Sonにおける女性と愛
溝口薫

 拙論は、二人の友性主人公Edithと、Florenceを中心としてこの小説の愛のテ
ーマのもとに二人の意義を考えてみたものである。
 Dombey and SonにおいてDickensは、時代における人間性の危機を主人公Mr. 
Dombeyを中心とする万事功利主義的な世界に描いてみせた。その世界の根本的
な誤りを、作者は、人間の生ないし存在の価値が、視野の狭い人間の知性によ
って単純化される(例えば金銭的価値に)ことにあると考え、そして充促した
生とは、人生を知性で裁断することではなく愛においてのみ成立すると説くの
である。
 この愛を具現するのがFlorenceである。彼女に託された性格から、Dickensの
考える愛とは、純粋にただ素朴に発揮される愛情、思いやりであることが推察
される。さらに彼女を取り巻く愛の使徒達、ことにCaptain CuttleやToots等のコ
ミカルな人物達においてその意味は一層明瞭となろう。彼らはMr. Dombeyの世
間知の世界とは全く無縁な、無知の徒ともいうべき道化的存在であるが、彼ら
の酸し出す笑いはむしろMr. Dombeyの世界を卑小化せしめる効果を持つ。作者
が彼らのような理屈抜きの共感、途方もない寛容を、利得を計ることだけに費
す人生の上に揚げるかの如くに描くのは、そこに人間の愛の本質を強調したか
った故に相違ないのである。
 一方Edithは、Florenceとは全く違った立場から、愛の価値を説明する人物と
なっていると考えられる。彼女はDombeyの世界のただ中にあって、その価値観
を否定し不正を見抜くことができるが、さらに、Florenceを通じて愛の重要さも
認識できる人物なのである。ある意味で彼女には善悪を識別する力が備わって
いるといえるのであるが、その知力は彼女を救済することはない。言うまでも
なく、愛は認識だけでは力となり得ずまた、愛は善悪の判断を越えて発揮され
るものであるのに彼女はその事が決して理解できない。Edithは、終始自分の知
力をプライドのよりどころとして自らの判断(ジャジメント)にこだわり続け自
己と他人へ怒りと憎悪を募らせるばかりなのである。つまりEdithは、Dombey
の高慢の一面である人間の狭い判断力によってのみ生きることの誤りをさらに
確認し、同時に、人間の生との和解の鍵は、その知性ではなく、愛そのものに
あることを明確化する存在になっているのである。

ディケンズ関係の研究書とフェローシップ会員の著訳書(順不同)

『シェークスピア名句辞典』 村石利夫編 横州信義監修(一九八三年 日本
文芸社)
『アメリカン・マインド』大場勝著(一九八四年 開拓社)
『視覚の瞬間』ケネス・クラーク著 北條文緒訳(一九八四年 法政大学出版
会)

編集後記
 編者は個人的な理由から、昨年秋の総会にも、今年春の大会にも参加するこ
とができなかった。この号で当日の講演、研究発表、シンポジウム等に関する
諸先生方の原稿に接し、残念だったという思いを、ひとしお強くした。フィリ
ップ・コリンズ氏にはぜひともお会いしたかったのであった。五十六年にイギ
リスに行ったとき、お目にかかりたかったのであったが、そのときは氏が御病
気であった。スレーター氏が、いずれ日本でお会いできますよといった意味の
お手紙を、ロンドンの私の下宿に送ってくださったのであった。それはそれと
して、コリンズ氏の御講演にある「日英友愛の絆」は、今後よりいっそう強く
結ばれていくことであろう。
 第七号編集に当たっては、いつもながら村石利夫氏、問二郎氏に多大のお世
話になった。また安富良之氏が校正に貴重なお時間を割いてくださった。お三
人の方々にあつく御礼申し上げます。(中西)

会員名簿


ディケンズ・フェロウシップ日本支部

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